伏見稲荷大社歴史簡単まとめ-修学旅行・観光の基礎知識

伏見稲荷大社見どころ(千本鳥居)

伏見稲荷大社歴史簡単まとめ

伏見稲荷大社歴史を簡単にまとめて紹介しています。伏見稲荷大社は古墳時代に3基の円墳が造営されたとも、古くから神奈備山と信仰されていたとも言われる場所でした。その後711年(和銅4年)に伊侶巨秦公が勅命を受け、稲荷山に稲荷大神を祀ったと言われています。

【伏見稲荷大社歴史以外の情報】
伏見稲荷大社見どころ(本殿・千本鳥居など)
伏見稲荷大社七不思議(見どころ)

★伏見稲荷大社歴史年表
【前史 伏見稲荷大社】
●かつて伏見稲荷大社が祀られていた稲荷山(いなりやま・伊奈利山)の三峰には古墳時代に3基の円墳が造営されていたとも、古くから神奈備山(かんなびやま)として信仰されていたとも言われています。
●5世紀頃に中国・秦の始皇帝(しんのしこうてい)の子孫と称する渡来系氏族・秦氏(はたうじ)が朝廷の招きで京都に住んで開拓に従事したとも言われています。

【創建(起源・由来) 伏見稲荷大社】
●奈良時代初期の711年(和銅4年)に伊侶巨秦公(いろこのはたのきみ)が勅命を受け、稲荷山の三つの峯の平らな場所に稲荷大神(いなりのおおかみ)を祀ったのが伏見稲荷大社の起源と言われています。稲荷大神は711年(和銅4年)2月の初午(はつうま)の日に初めて稲荷山に鎮座したとされ、例年2月の初午の日に行われている初午大祭(はつうまたいさい)の由来になっています。初午大祭は古来、前日の巳の日から社頭に参詣者が多く集まったことから京洛初春第一の祭事とも言われました。

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【平安時代 伏見稲荷大社】
●816年(弘仁7年)に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)の請により、稲荷山から現在の場所に移ったとも言われています。
●823年(弘仁14年)に弘法大師・空海が第52代・嵯峨天皇(さがてんのう)から東寺(とうじ・教王護国寺(きょうおうごこくじ))を賜り、その後伏見稲荷大社が東寺の鎮守社(ちんじゅしゃ)になったとも言われています。
●827年(天長4年)に第53代・淳和天皇(じゅんなてんのう)から神階(しんかい)・従五位下(じゅごいげ)を賜りました。淳和天皇の健康が優れず、占うと嵯峨天皇の御願寺・東寺の五重塔建立の為に伏見稲荷大社の樹を伐採した祟りとされたことから大中臣雄良が派遣されて神階が授けられました。
●843年(承和10年)に従五位上(じゅごいじょう)、844年(承和11年)に従四位下(じゅしいげ)に昇叙されました。
●852年(仁寿2年)に山城の三社(賀茂社(上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ))・松尾大社(まつのおたいしゃ))として朝廷から崇敬されたと言われています。
●859年(貞観元年)に稲荷社の社殿が修造されました。
●貞観年間(859年~877年)に稲荷祭が始まったとも言われています。稲荷祭は「稲荷谷響記」に「社司伝来記曰、古説云、稲荷祭ハ、自二貞観年中一始、天暦以降専被レ行レ之、云々」と記されています。また稲荷祭は908年(延喜8年)に始まったとも言われています。
●901年(延喜元年)に稲荷三所大明神の社殿が建立されました。
●908年(延喜8年)に藤原時平(ふじわらのときひら)の寄進によって稲荷三箇社の社殿が修造されました。
●927年(延長5年)に稲荷神社三座・並明神大社の社殿が建立されました。
●927年(延長5年)に「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に「山城国紀伊郡 稲荷神社三座 並名神大 月次・新甞」と記されて名神大社(みょうじんたいしゃ)に列せられました。
●942年(天慶5年)に最高位となる神階・正一位(しょういちい)に昇叙されました。
●990年(正暦元年)に稲荷社の社殿が修造されました。
●1000年(長保2年)に「枕草子(まくらのそうし)」の作者・清少納言(せいしょうなごん)が参詣しました。清少納言は「枕草子」によると2月午の日の暁から詣で、苦しくなったことや暑さを感じたことが記されています。
●1072年(延久4年)3月26日に第71代・後三条天皇(ごさんじょうてんのう)が初めて行幸しました。
●1081年(永保元年)10月に藤原為房が熊野詣の帰途に参詣しました。
●1081年(永保元年)に二十二社の制の上七社に列せられました。
●1109年(天仁2年)に稲荷社が遷宮しました。
●1150年(久安6年)に左大臣・藤原頼長(ふじわらのみちなが)が初めて奉幣し、その後も続けました。
●1159年(平治元年)12月に平清盛(たいらのきよもり)が参詣したとも言われています。平清盛が熊野参詣の途中に平治の乱(へいじのらん)が勃発し、京都に引き返す途中で参詣したとも言われています。

【鎌倉時代 伏見稲荷大社】
●鎌倉時代に鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)が武運を祈念したとも言われています。
●1190年(建久元年)に稲荷社(上社・中社・下社・正殿)が遷宮しました。
●1247年(宝治元年)に稲荷社が正遷宮しました。

【南北朝時代 伏見稲荷大社】
●南北朝時代に室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)が武運を祈念したとも言われています。

【室町時代 伏見稲荷大社】
●1410年(応永17年)に稲荷社の社殿が修造されました。
●1438年(永享10年)に室町幕府6代将軍・足利義教(あしかがよしのり)が第102代・後花園天皇(ごはなぞのてんのう)の勅命により、稲荷山に祀られていた社殿を現在の場所である山麓に移したと言われています。藤森神社(ふじのもりじんじゃ)の伝承によると現在伏見稲荷大社が祀られている場所には奈良時代中期の759年(天平宝字3年)に舎人親王(とねりしんのう)とその父で、第40代・天武天皇(てんむてんのう)を祀る藤尾社(ふじおしゃ)が建立されていました。伏見稲荷大社の遷座に伴って、藤尾社が藤森神社東殿(東座)に遷され、藤森に祀られていた真幡寸神社(まはたきじんじゃ)が現在の城南宮(じょうなんぐう)に遷されたと言われています。
●1461年(寛正2年)に稲荷社が遷宮しました。
●1468年(応仁2年)3月21日に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))によって社殿の多くが焼失しました。上社・中社・下社の三社別殿を建立し、初めて五社を相殿になりました。
●1482年(文明14年)に暴風によって中社が倒壊し、中社を上社に遷宮しました。
●1499年(明応8年)に現在の本殿(五社相殿)に正遷宮しました。

【桃山時代 伏見稲荷大社】
●1588年(天正16年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が母・大政所(おおまんどころ・仲(なか)・天瑞院(てんずいいん))の病気回復を祈願し、1589年(天正17年)に楼門を再建しました。

【江戸時代 伏見稲荷大社】
●1641年(寛永18年)に祠官(しかん)・羽倉延次(はくらのぶつぐ)が後水尾上皇(第108代・後水尾天皇(ごみずのおてんのう))から仙洞御所(せんとうごしょ)にあった御茶屋を賜って移しました。後水尾上皇は稲荷信仰に関心を寄せ、非蔵人兼務の上社神主・秦親明から「御神符神守之深秘」を受けていました。
●江戸時代に境内に愛染寺・浄安寺・西光寺が建立され、神仏習合(しんぶつしゅうごう)が進みました。
●江戸時代から鳥居の奉納が盛んになりました。

【明治時代以降 伏見稲荷大社】
●明治維新後の神仏分離令(廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により、愛染寺・浄安寺・西光寺が廃寺になり、仏堂・本殿に安置されていた仏像も廃されました。
●2011年(平成23年)に稲荷大社鎮座1,300年を迎えました。

★伏見稲荷大社歴史上人物
【伊侶巨秦公 伏見稲荷大社】
●伊侶巨秦公(秦伊呂巨・秦伊呂具)は稲荷大神を祀りました。伊侶巨秦公は秦中家忌寸(はたのなかつえいみき)らの祖先とされています。「山城国風土記」逸文によると稲を積み上げるほど稲作で裕福で、餅を的にして矢を射ると餅は白鳥になって飛び去り、山に降りて稲が成ったことが「イナリ」という社名の由来になったと記されています。なお秦氏一族は禰宜(ねぎ)・祝(ほふり)になって祭祀に奉仕しました。

【文化財・見どころ 伏見稲荷大社】
●本殿(重要文化財)は1494年(明応3年)または1499年(明応8年)に再建されました。
●権殿(重要文化財)は1635年(寛永12年)に建立されました。
●外拝殿(重要文化財)は1589年(天正17年)に建立され、1840年(天保11年)に改築されました。
●楼門(重要文化財)は1589年(天正17年)に関白・豊臣秀吉が母の病気回復を祈願して再建しました。
●北廻廊・南廻廊(重要文化財)は1694年(元禄7年)に建立されました。
●奥宮(重要文化財)は1499年(明応8年)に建立されました。
●白狐社(重要文化財)は1694年(元禄7年)に建立されました。
●御茶屋(重要文化財)は1641年(寛永18年)に祠官・羽倉延次が後水尾上皇(第108代・後水尾天皇)から仙洞御所にあった御茶屋を賜って移しました。
●千本鳥居などの鳥居の奉納は江戸時代以降に盛んになりました。なお伏見稲荷大社には千本鳥居を含め、約1万基の鳥居があると言われています。

【伏見稲荷大社歴史 備考】
*参考・・・京都・伏見稲荷大社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

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