石清水八幡宮の歴史は行教が八幡大神を男山に奉安したのが起源
石清水八幡宮の時代別年表と重要人物
石清水八幡宮は859年(貞観元年)に大安寺の僧・行教が宇佐八幡宮の祭神・八幡大神から神託を受け、男山の峯に神霊を奉安したのが起源です。860年(貞観2年)に清和天皇が八幡造の社殿)(六宇の宝殿を建立しました。なお歴史は修学旅行・観光の為に簡単にマトメています。
【石清水八幡宮が建立されている男山】
- 石清水八幡宮が建立されている男山は薬師如来(やくしにょらい)を本尊に祀る石清水寺が建立されていた場所と言われています。石清水寺は石清水八幡宮が創建させると石清水八幡宮の神宮寺になりました。ちなみに石清水寺は現在、祭神・天御中主神(あまのみなかぬしのかみ)を祀る石清水八幡宮の摂社・石清水社になっています。なお石清水社近くには霊泉・石清水が湧き出し、石清水八幡宮創建以前からの聖地と言われています。
【石清水八幡宮の起源・始まり】
- 石清水八幡宮は平安時代前期の859年(貞観元年)に南都(奈良)・大安寺(だいあんじ)の僧・行教(ぎょうきょう)が豊前国(大分)・宇佐八幡宮(うさはちまんぐう・宇佐神宮)に籠って日夜熱祷を捧げていると祭神・八幡大神から「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」という神託を受け、男山の峯に神霊を奉安したのが起源と言われています。
- 860年(貞観2年)に第52代・清和天皇(せいわてんのう)が石清水寺の境内に八幡造(はちまんづくり)の社殿(六宇の宝殿(ろくうのほうでん))を建立しました。
【平安時代(794年頃~1185年頃)の出来事】
- 862年(貞観4年)に神宮寺・石清水寺が寺号を護国寺に改め、石清水八幡宮は神仏習合(しんぶつしゅうごう)を深めました。その後石清水八幡宮は宮寺として、石清水八幡宮護国寺と称するようになりました。
- 883年(元慶7年)に極楽寺が建立されました。
- 939年(天慶2年)に承平天慶の乱(平将門(たいらのまさかど)の乱・藤原純友(ふじわらのすみとも)の乱)が起こり、その後平定されると石清水八幡宮は国家鎮護の社として、皇室から篤く崇敬されました。第64代・円融天皇(えんゆうてんのう)の行幸から天皇の行幸や上皇の御幸は240余度にもなりました。
- 939年(天慶2年)に石清水八幡宮は伊勢神宮(いせじんぐう)に次いで奉幣される地位を得て、伊勢神宮とともに「二所宗廟」と称されました。
- 1111年(天永2年)に白河法皇(第72代・白河天皇(しらかわてんのう)が真言宗(しんごんしゅう)形式の大塔を建立しました。
- 1112年(天永3年)に天台宗(てんだいしゅう)形式の宝塔院宝塔(琴塔)が建立されたと言われています。
- 平安時代後期頃から石清水八幡宮は清和源氏の足利氏・徳川氏・今川氏・武田氏などの源氏諸氏族から氏神として崇敬され、武神・弓矢の神・必勝の神とされました。なお河内源氏2代目・源頼義(みなもとのよりよし)は奥州で起こった前九年の役(ぜんくねんのえき)を平定する為、石清水八幡で戦勝を祈願しました。そして1063年(康平6年)に石清水八幡宮を鶴岡若宮として勧請し、鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)の起源になりました。
【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の出来事】
- 鎌倉時代前期に鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)が石清水八幡宮に神領を寄進し、別当領を保護しました。
【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の出来事】
- 1375年(文中4年・応安8年)に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が石清水八幡宮に参詣し、その後20回以上参詣しました。
【室町時代(1336年頃~1573年頃)の出来事】
- 1429年(永享元年)に石清水八幡宮で籤引き(くじびき)が行われ、足利義教(あしかがよしのり)が室町幕府6代将軍に決定し、「籤引き将軍」と言われました。
- 室町時代中期に室町時代仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))が起こり、石清水臨時祭・放生会(ほうじょうえ)が中絶しました。
【戦国時代(1493年頃~1590年頃)の出来事】
- 1580年(天正8年)に織田信長(おだのぶなが)が黄金の樋を石清水八幡宮に奉納しました。
- 桃山時代に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が石清水八幡宮に寄進しました。
【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の出来事】
- 江戸時代初期に豊臣秀吉の子・豊臣秀頼(とよとみひでより)が石清水八幡宮の社殿を修復したり、再建したりしました。1603年(慶長10年)に大塔、1604年(慶長11年)に宝塔院宝塔(琴塔)、1605年(慶長12年)に阿弥陀堂が再建されました。
- 1634年(寛永11年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が本殿(内殿・外殿)・幣殿・舞殿・東門・西門などを再建しました。
- 江戸時代に護国寺・極楽寺など男山四十八坊と言われた塔頭(たっちゅう)・宿坊が参道に建てられていました。豊蔵坊は将軍家の祈願所とされ、江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)である東照大権現(とうしょうだいごんげん)像が祀られていました。
【明治時代以降(1868年頃~)の出来事】
- 明治維新後に神仏分離令により、石清水八幡宮は神号を「八幡大菩薩」から「八幡大神」に改められました。廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって大塔・宝塔院宝塔(琴塔)が解体され、阿弥陀堂が正法寺(しょうぼうじ)の飛び地境内地であった西車塚古墳に移築されました。また神宮寺・護国寺が廃寺になり、本尊・薬師如来像や十二神将(じゅうにしんしょう)像が淡路島の東山寺に移され、豊蔵坊の東照大権現像が等持院(とうじいん)に移されました。
- 1871年(明治4年)に石清水八幡宮は社号が「男山八幡宮」に改められました。また同年に官幣大社に列せられました。
- 1883年(明治16年)に勅祭社に列せられました。
- 1918年(大正7年)に社号が「石清水八幡宮」に改められました。
- 1948年(昭和23年)に別表神社に列せられました。
【石清水八幡宮の創建とされる行教】
行教は生没年不詳です。行教は大和(奈良)・大安寺で法相宗・三論宗・密教を学び、天台宗の宗祖である伝教大師・最澄の師・行表や真言宗の宗叡に師事したと言われています。859年(貞観元年)に第56代・清和天皇が即位した際、豊前国(大分)・宇佐八幡宮に派遣されました。その後宇佐八幡宮の神託を受けて清水八幡宮を創建しました。863年(貞観5年)に伝燈大法師位に任じられました。
【石清水八幡宮 備考】
*参考・・・石清水八幡宮(歴史・見どころ・・・)ホームページ