広隆寺歴史年表(創建~現在)

広隆寺

広隆寺歴史

広隆寺歴史(広隆寺の歴史)を紹介しています。(簡単歴史)広隆寺は起源が明確ではありません。603年(推古天皇11年)渡来人氏族・秦河勝が聖徳太子から賜った弥勒菩薩を本尊として創建したのが起源とも、聖徳太子の供養の為に創建されたとも言われています。

【広隆寺歴史 年表】
(広隆寺歴史 創建)
広隆寺(こうりゅうじ)は起源が明確ではありません。広隆寺は603年(推古天皇11年)渡来人氏族・秦河勝(はたのかわかつ)が第31代・用明天皇の第2皇子・聖徳太子から賜った仏像・弥勒菩薩を本尊として創建し、蜂岡寺(はちおかでら)と称したのが起源とも、622年(推古天皇30年)聖徳太子が亡くなり、聖徳太子の供養の為に創建され、葛野秦寺(かどののはたでら)と言われたのが起源とも言われています。ただ広隆寺は京都最古の寺院と言われています。

(広隆寺歴史 飛鳥・奈良時代)
623年(推古天皇31年)新羅・任那の使者が訪れ、葛野秦寺は仏像などが贈られたと言われています。
724年(神亀元年)勅願によって伝法会を毎年修し、797年(延暦16年)勅願によって本尊を薬師如来に改めました。

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(広隆寺歴史 平安時代)
818年(弘仁9年)の火災によって大門や築地を残して焼失しました。
836年(承和3年)弘法大師・空海の高弟・道昌僧都(どうしょうそうず)が別当になって再建しました。道昌僧都は中興の祖と言われています。
860年(貞観2年)第56代・清和天皇の命により、薬師如来を勅封し、864年(貞観6年)清和天皇の勅により、願徳寺の薬師仏(七薬師像)を迎え、以後本尊になったとも言われています。
1012年(長和元年)牛祭りが始まったと言われています。
1016年(長和5年)三条上皇(第67代・三条天皇)が行幸し、1104年(長治元年)第72代・白河天皇が行幸したと言われています。
1150年(久安6年)の火災によって焼失したが、1165年(長寛2年)公家・藤原信頼が勅命により、金堂・阿弥陀堂などを再建しました。

(広隆寺歴史 その後)
1248年(宝治2年)勅願によって法華会を毎年修するようになりました。
1251年(建長3年)中観上人が桂宮院本堂を建立したと言われています。
1532年(天文元年)第103代・後土御門天皇が聖徳太子像に天皇即位の御衣を贈りました。その後歴代天皇からも御衣を賜っています。
明治維新後の廃仏毀釈により、鎮守社・大酒神社が桂宮院から現在の場所に移されました。

【広隆寺歴史 建物】
●桂宮院本堂(けいぐういんほんどう)は1251年(建長3年)中観上人が建立したと言われています。
●講堂は1165年(永万元年)に再建され、1565年(永禄8年)以降に度々補修されました。
●上宮王院太子殿(じょうくうおういんたいしでん)は1730年(享保15年)に建立されました。
●薬師堂は平安時代前期に造られたと言われている薬師如来立像を安置しています。
●地蔵堂は弘法大師・空海作とも言われている地蔵菩薩坐像(腹帯地蔵)を安置しています。
●楼門は1702年(元禄15年)に建立されたと言われています。
●霊宝殿は1982年(昭和57年)に建設されました。

【広隆寺歴史 その他】
●鉄鐘は1217年(建保5年)秦末時が発願して寄進し、本尊に奉納されたとも言われています。
●宝冠弥勒(弥勒菩薩半跏像)は603年(推古天皇11年)に朝鮮半島から伝来し、聖徳太子が秦河勝に与えたとも言われています。
●泣き弥勒(弥勒菩薩半跏像)は7世紀後半から8世紀初頭の白鳳時代に造られたと言われています。

【広隆寺歴史 備考】
*参考・・・広隆寺(アクセス・歴史・見どころ・・・)wikipedia
広隆寺基本情報広隆寺見どころ

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