平安神宮の歴史は大内裏の一部を復元し、桓武天皇を祀ったのが起源
平安神宮の時代別年表と重要人物
平安神宮は1895年(明治28年)に内国勧業博覧会の目玉として、平安京の大内裏の一部を復元し、博覧会に先立つ3月15日に第50代・桓武天皇を祀ったのが起源です。1940年(昭和15年)に孝明天皇も祭神に加えられました。なお歴史は修学旅行・観光の為に簡単にマトメています。
【平安神宮が建立されている場所】
- 平安神宮が建立されている場所の一部は平安時代後期の1102年(康和4年)に第73代・堀河天皇(ほりかわてんのう)の御願によって創建された尊勝寺(そんしょうじ)の一部があったと言われています。平安神宮南側には尊勝寺以外にも法勝寺(ほっしょうじ)・最勝寺(さいしょうじ)・円勝寺(えんしょうじ)・成勝寺(じょうしょうじ)・延勝寺(えんしょうじ)が建立され、六勝寺(ろくしょうじ)と言われていたが、室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))以降にほぼ廃絶しました。
- 1892年(明治25年)に京都市議会が経済学者・田口卯吉(たぐちうきち)による平安神宮建立の進言を可決しました。
- 1895年(明治28年)に平安京遷都1,100年を記念し、京都で行われる内国勧業博覧会(ないこくかんぎょうはくらんかい)の目玉として、平安京遷都時に造営された大内裏(だいだいり)の一部を復元することが計画されました。最初、大内裏が造営されていた千本丸太町に朱雀門(すざくもん)が位置するように計画されたが、用地買収に失敗し、現在平安神宮が建立されている岡崎に復元されることになりました。
- 1893年(明治26年)9月3日に平安神宮で地鎮祭(じちんさい)が行われました。
【平安神宮の起源・始まり】
- 1895年(明治28年)3月15日に内国勧業博覧会に先立って、第50代・桓武天皇(かんむてんのう)を祭神とする平安神宮が創建されました。桓武天皇は「遷都のおや神様」とされました。なお同年に官幣大社に列せられました。
【明治時代(1868年~1912年)の出来事】
- 1895年(明治28年)に大極殿など平安神宮の社殿が完成しました。
- 1895年(明治28年)4月から7月に第4回・内国勧業博覧会が行われました。入場者数は約113万7千人でした。
- 1895年(明治28年)10月22日から平安神宮の祭礼である時代祭が始まりました。
【大正時代(1912年~1926年)の出来事】
- 1912年(大正元年)に京都御所から平安神宮に泰平閣・尚美館が移築されました。
【昭和以降(1926年~)の出来事】
- 1928年(昭和3年)に大鳥居が造営されました。
- 1940年(昭和15年)に第121代・孝明天皇(こうめいてんのう)が平安神宮の祭神に加えられました。孝明天皇は「日本文化のふるさと京都のおや神様」とされました。なお1940年(昭和15年)は皇紀2,600年に当たりました。
- 1948年(昭和23年)に平安神宮が神社本庁の別表神社に列せられました。
- 1975年(昭和50年)に神苑が国の名勝に指定されました。
- 1975年(昭和50年)に京都薪能が始まったと言われています。
- 1976年(昭和51年)1月6日に放火によって本殿・内拝殿など9棟が焼失しました。
- 1979年(昭和54年)4月に本殿・内拝殿が再建されました。
- 1994年(平成6年)3月15日に平安神宮鎮座百年祭が行われました。
- 2010年(平成22年)12月に大極殿など6棟が国の重要文化財に指定されました。
- 2017年(平成29年)12月に観光施設「京都・時代祭館 十二十二」がオープンしました。
【平安神宮の祭神とされる第50代・桓武天皇】
桓武天皇は737年(天平9年)に白壁王(第49代・光仁天皇)と高野新笠の第1皇子として生まれました。母が百済系渡来人氏族・和氏の出身であったことから官僚として大学頭・侍従に任じられ、770年(宝亀元年)に父が第49代・光仁天皇に即位すると親王宣下を受けました。772年(宝亀3年)に皇后・井上内親王が光仁天皇を呪詛したとして皇后を廃され、その後異母弟である皇太子・他戸親王も皇太子を廃されると翌773年(宝亀4年)に皇太子になりました。781年(天応元年)に父から譲位され、第50代・桓武天皇に即位しました。784年(延暦3年)に長岡京の遷都、794年(延暦13年)に平安京の遷都を行って律令国家としての強化・拡大を図りました。最澄・空海を重用して平安仏教の確立にも尽力しました。また奥羽の蝦夷平定の為に坂上田村麻呂を将軍として遠征させ、地方行政の整備なども行いました。なお第50代・桓武天皇は806年(延暦25年)に崩御しました。
【平安神宮 備考】
*参考・・・平安神宮(歴史・見どころ・・・)ホームページ