安井金比羅宮歴史の簡単マトメ-修学旅行・観光の解説

安井金比羅宮(Yasui Konpiragu Shrine)

安井金比羅宮歴史の簡単マトメ-年表と重要人物

安井金比羅宮歴史を簡単にまとめてポイント解説します。安井金比羅宮は飛鳥時代に藤原鎌足が一堂を建立し、藤を植えて藤寺と号し、藤原氏の隆昌と子孫の長久を祈願したのが起源と言われています。なお時代別に年表にまとめ、重要人物も紹介しています。

安井金比羅宮見どころ(本殿・縁切り縁結び碑など)

【前史(藤原鎌足(中臣鎌足))】

★藤原鎌足(ふじわらのかまたり・中臣鎌足(なかとみのかまたり))は第38代・天智天皇(てんぢてんのう)となる中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)らと蘇我氏(そがし・蘇我宗家)を滅ぼし、豪族中心の政治から天皇中心の政治に変えた大化の改新(たいかのかいしん)に貢献し、その後「藤原」姓を賜りました。

【安井金比羅宮創建(起源・由来)】

★安井金比羅宮は第38代・天智天皇の時代(668年~671年)、飛鳥時代後期に藤原氏の始祖・藤原鎌足が一堂(仏堂)を建立し、紫色の藤を植えて藤寺と号し、藤原氏の隆昌と子孫の長久を祈願したのが起源と言われています。

【平安時代(794年頃~1185年頃)の出来事】

★平安時代後期に第75代・崇徳天皇(すとくてんのう)が藤を好んで、安井金比羅宮に度々行幸しました。
★1146年(久安2年)に崇徳天皇が堂塔を修造し、寵妃・阿波内侍(あわのないし)を安井金比羅宮に住まわされました。
★1156年(保元元年)に崇徳上皇が保元の乱(ほうげんのらん)に敗れて讃岐(香川県)に配流され、1164年(長寛2年)に配流された讃岐で崩御しました。阿波内侍は崇徳上皇から賜った自筆の尊影を観音堂に祀りました。阿波内侍は出家して尼になり、塚を築いて遺髪を埋め、日夜ひたすら勤行したと言われています。
★1177年(治承元年)に大円法師(だいえんほうし)が安井金比羅宮に参拝した際、崇徳上皇の霊が現れた為、後白河法皇(第77代・後白河天皇(ごしらかわほうおう))に奏上され、後白河法皇の命によって光明院観勝寺が建立されました。また阿波内侍が築いた塚が御影堂(崇徳天皇御廟)に改められました。

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【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の出来事】

★1200年(正治2年)に第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう)の皇女・殷富門院亮子内親王(いんぷもんいんりょうしないしんのう)が安井御所に蓮華光院(れんげこういん)を創建したと言われています。
★鎌倉時代中期に第83代・土御門天皇(つちみかどてんのう)の皇子・道円法親王(どうえんほうしんのう)が蓮華光院に入寺し、安井門跡(やすいもんぜき)と言われるようになりました。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の出来事】

★室町時代中期の1467年(応仁元年)~1477年(文明9年)に応仁の乱(おうにんのらん)により、安井金比羅宮が荒廃しました。
★1497年(明応6年)に住持・幸盛が御影堂を再建し、崇徳天皇を慰霊しました。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の出来事】

★1695年(元禄8年)に太秦安井(京都市右京区)に建立されていた蓮華光院(安井門跡)がこの地に移され、その鎮守として崇徳天皇とともに讃岐(香川県)の金刀比羅宮(ことひらぐう)から勧請した大物主神(おおものぬし)・源頼政(みなもとのよりまさ)を祀りました。安井金比羅宮は「安井の金比羅さん」として知られるようになりました。

【明治時代以降(1868年頃~)の出来事】

★明治維新後の神仏分離令・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により、蓮華光院(安井門跡)が廃寺になり、安井神社に改称し、戦後に社名が安井金比羅宮に改められました。1871年(明治4年)に蓮華光院(安井門跡)の御影堂が大覚寺(だいかくじ)に移築されて安井堂と言われています。なお大覚寺は戦国時代(室町時代後期)の1534年(天文3年)から蓮華光院を兼帯していました。
★1873年(明治6年)に村社に列せられました。
★1882年(明治15年)に郷社に昇格しました。

【藤原鎌足:安井金比羅宮の創建者】

藤原鎌足は614年(推古天皇22年)に中臣御食子と大伴智仙の娘の子として生まれました。早くから中国の史書に関心を持ち、隋・唐(中国)に留学していた南淵請安から儒教を学び、蘇我入鹿とともに秀才と称されました。蘇我氏打倒を目指して最初に軽皇子(第36代・孝徳天皇)に近付き、その後中大兄皇子(第38代・天智天皇)に接近して腹心になり、蘇我氏の内部対立に乗じて、蘇我倉山田石川麻呂を味方に引き入れました。645年(大化元年)に中大兄皇子・蘇我倉山田石川麻呂らとともに飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を暗殺し、その父・蘇我蝦夷を自殺に追いやりました。647年(大化3年)に大錦冠を授与され、654年(白雉5年)頃に大紫冠に昇格しました。その後大織冠を授与され、内大臣に任ぜられ、669年(天智8年)に天智天皇から姓「藤原」を賜ったが、翌日の669年(天智天皇8年)11月14日に亡くなりました。藤原鎌足は豪族を中心とした政治から天皇中心の政治に変えた大化の改新に功がありました。

【安井金比羅宮 備考】
*参考・・・安井金比羅宮(歴史・見どころ・・・)ホームページ

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