石清水八幡宮の見どころ-修学旅行・観光の簡単まとめ

石清水八幡宮の国宝・重文などの文化財の見どころ解説
石清水八幡宮の見どころを簡単にまとめて解説します。見どころには織田信長が寄進した黄金の雨樋がある本殿(国宝)、出入口である楼門(国宝)、尼崎の豪商が寄進した五輪塔(重要文化財)などがあります。また廻廊・石燈籠・摂末社なども見逃せません。
【織田信長が寄進した黄金の雨樋がある本殿(国宝)の解説】
- 概要:本殿は絶対に見る価値があるハイライトです。本殿は内殿(内陣・正殿・後殿)と外殿(外陣・前殿)の屋根の谷に織田信長(おだのぶなが)寄進の黄金の雨樋があります。本殿は八幡造の本殿の中で、最古・最大規模と言われています。本殿は内殿・外殿に分かれ、中御前に第15代・応神天皇(おうじんてんのう)である誉田別命(ほんだわけのみこと)、東御前に神功皇后(じんぐうこうごう)である息長帯姫命 (おきながたらしひめのみこと)、西御前に宗像三女神(むなかたさんじょしん)である比咩大神 (ひめおおかみ)を祀っています。宗像三女神は多紀理毘売命(たぎりびめ)・市寸島姫命(いちきしまひめ)・多岐津比売命(たぎつひめ)の三柱です。
- 歴史:本殿は1634年(寛永11年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が再建しました。本殿は八幡造(はちまんづくり)の本殿の中で最古と言われています。ちなみに本殿は859年(貞観元年)に清和天皇の勅命によって創建され、その後度々焼失し、本殿は14度建立され、17度修理されたと言われています。
- 様式:本殿は八幡造です。内殿は切妻造(きりづまづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)、外殿は流造(ながれづくり)の檜皮葺です。内殿は桁行十一間・梁間二間、外殿は桁行十一間・梁間二間です。
- 黄金の雨樋:黄金の雨樋は織田信長が寄進し、内殿と外殿の屋根の谷に通っています。織田信長は大山崎町の宝積寺(ほうしゃくじ)に雨宿りした際、本殿の木樋が損傷していると聞いて寄進したと言われています。
【徳川家光が再建した幣殿及び舞殿(国宝)の解説】
- 概要:幣殿及び舞殿は見逃せません。幣殿及び舞殿は楼門の奥で、廻廊の中に建立されています。
- 歴史:幣殿及び舞殿は1634年(寛永11年)に徳川家光が再建しました。
- 様式:幣殿及び舞殿は切妻造の檜皮葺です。幣殿は桁行正面一間・背面三間・梁間一間、舞殿は桁行三間・梁間一間です。
【本殿への出入口である楼門(国宝)の解説】
- 概要:楼門は本殿に次ぎ、見る価値があるハイライトです。楼門は修学旅行生や観光客などの参拝者が本殿を参拝する際の出入口になっています。楼門は徳川家光が再建し、内側に葵の紋あります。楼門は前面に向唐破風(むこうからはふ)がある珍しい形式になっています。
- 歴史:楼門は1634年(寛永11年)に徳川家光が再建しました。
- 様式:楼門は一間一戸(いっけんいっこ)です。楼門は入母屋造(いりもやづくり)の檜皮葺です。楼門は桁行二間・梁間一間です。なお破風は向唐破風造の檜皮葺です。
【東門(国宝)・左甚五郎作の「目貫きの猿」がある西門(国宝)の解説】
- 概要:東門・西門は東門が東側、西門に建立されています。西門には蟇股(かえるまた)に左甚五郎(ひだりじんごろう)作の彫刻「目貫きの猿」があります。猿は夜になると抜け出し、山麓の畑を荒らすので、動かないように右目に釘が打たれたと言われています。
- 歴史:東門・西門は1634年(寛永11年)に徳川家光が再建しました。
- 様式:東門・西門は一間一戸(いっけんいこ)です。東門・西門は切妻造の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
【長さ約180メートルの廻廊(国宝)の解説】
- 概要:廻廊は楼門東門間・楼門西門間・背面に分かれています。廻廊は鬼門である東北部分が鬼門封じに土台の石垣が切り取られています。
- 歴史:廻廊は1634年(寛永11年)に徳川家光が再建しました。
- 様式:楼門東門間・楼門西門間・背面は入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺です。楼門東門間は桁行十三間・梁間二間、楼門西門間は桁行十三間・梁間二間、背面は桁行二十八間・梁間二間です。
【北総門・東総門・西総門(重要文化財)の解説】
- 概要:総門には北総門・東総門・西総門があります。総門は社殿・摂末社を取り囲む築地塀(ついじべい)に建立されています。
- 歴史:北総門・東総門・西総門は江戸時代(1603年~1868年)前期に再建されたと言われています。
- 様式:北総門・東総門・西総門は四脚門(しきゃくもん)です。北総門・東総門・西総門は本瓦葺です。
【高さ6メートルで、日本最大規模の五輪塔(重要文化財)の解説】
- 概要:五輪塔(航海記念塔・忌明塔)は見逃せません。五輪塔は高さ6メートルで、日本最大規模とも言われています。五輪塔は航海記念塔・忌明塔とも言われています。
- 歴史:五輪塔は鎌倉時代後期(1275年~1332年)に建立されたと言われています。五輪塔は摂津(兵庫)尼崎の豪商が祈願し、海難を免れたことから寄進したとも言われています。また鎌倉時代の蒙古襲来に際に西大寺(さいだいじ)の僧・叡尊(えいそん)が祈願し、神風が吹いたことから供養をする為に建立したとも言われています。
- 様式:五輪塔は花崗岩製(かこうがん)です。
【高さ約2.15メートルの石燈籠(重要文化財)の解説】
- 概要:石燈籠は高さが約2.15メートルです。石燈籠は書院の庭に移されているが、かつては伊勢大神宮遙拝所の南にありました。
- 歴史:石燈籠は1295年(永仁3年)に建立されたと言われています。石燈籠は竿に「永仁3年(1295年)乙未3月」の刻銘があり、「永仁の石灯籠」と言われています。
- 様式:石燈籠は花崗岩製です。
【八幡市を代表する桜・紅葉の解説】
- 概要:石清水八幡宮は八幡市を代表する桜・紅葉の名所です。なお標高約143メートルの男山(おとこやま)は歴史的自然環境保全地域に指定されています。
- 桜:石清水八幡宮では神苑などに染井吉野・山桜など約200本、男山一帯に染井吉野・山桜・枝垂桜など約2,000本の桜が分布しています。桜は例年4月上旬頃から中旬頃に見ごろを迎えます。
- 紅葉:石清水八幡宮では男山一帯にカエデ・モミジ・イチョウなどが分布しています。紅葉は例年11月中旬頃から下旬頃に見ごろを迎えます。
【河原社と称した摂社・高良神社の解説】
- 概要:高良神社(こうらじんじゃ)は石清水八幡宮の摂社です。高良神社はかつて放生川(大谷川)近くに祀られ、河原社と称したとも言われています。
- 歴史:高良神社は860年(貞観2年)または869年(貞観11年)に創建されたとも言われています。なお高良神社は行教が建立した神殿の跡とも言われています。
【住吉社・若宮社など摂末社(摂社・末社)の解説】
- 概要:石清水八幡宮には高良神社以外にも住吉社・若宮社・若宮殿社・水若宮・狩尾社などの摂末社があります。
- 住吉社は底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・表筒男命(うわつつのおのみこと)を祀っています。住吉社(重要文化財)は江戸時代(1603年~1868年)前期に建立されました。住吉社は一間社流造の檜皮葺です。
- 若宮社は第16代・仁徳天皇(にんとくてんのう)を祀っています。若宮社(重要文化財)は江戸時代(1603年~1868年)前期に建立されました。若宮社は日吉造の檜皮葺です。
- 若宮殿社は第15代・応神天皇(おうじんてんのう)の皇女を祀っています。若宮殿社(重要文化財)は江戸時代(1603年~1868年)前期に建立されました。若宮殿社は三間社流造です。
- 水若宮社は宇治稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)を祀っています。水若宮社(重要文化財)は江戸時代(1603年~1868年)前期に建立されました。水若宮社は一間社流造の檜皮葺です。
- 狩尾社(とがのおしゃ)は天照大御神(あまてらすおおみかみ)・大己貴命(おおなむちのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祀っています。狩尾社(重要文化財)は1601年(慶長6年)に建立されました。
【日本三大勅祭に数えられた石清水祭の解説】
- 概要:石清水祭(いわしみずさい)は日本三大勅祭に数えられています。石清水祭は神仏習合時代に放生会と言われていました。石清水祭は例年9月15日に行われています。石清水祭は863年(貞観5年)旧暦8月15日に行われた石清水放生会が起源です。石清水祭では放生川(大谷川)に魚鳥を放ち、童子が胡蝶の舞(こちょうのまい)を舞い、鳳輦(ほうれん)が本殿に還幸します。
- 豆知識:石清水祭は上賀茂神社と下鴨神社の葵祭(賀茂祭)・奈良春日大社の春日祭とともに日本三大勅祭に数えられました。また石清水祭は葵祭の北祭に対し、南祭とも言われました。
【石清水灯燎華などが催される男山桜まつり】
- 概要:男山桜まつり(おとこやまさくらまつり)は例年3月21日から4月30日に行われています。男山桜まつりでは神賑芸能奉納などが行われたり、茶席(有料)が設けられたりします。男山桜まつりでは石清水灯燎華(とうりょうか)も行われ、ボンボリが灯されて夜間の特別拝観も行われます。
【石清水八幡宮の見どころ 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・石清水八幡宮(見どころ・アクセス・・・)ホームページ