高台寺の見どころ解説-修学旅行・観光の簡単まとめ

高台寺の国宝・重要文化財などの見どころ解説
高台寺の見どころを簡単にまとめて解説します。見どころには高台寺蒔絵が施された霊屋(重要文化財)、小堀遠州作庭の庭園(名勝・史跡)、狩野山楽筆の天井画「龍図」がある開山堂(重要文化財)などがあります。また方丈・臥龍廊・勅使門なども見逃せません。
【高台寺蒔絵が施された霊屋(重要文化財)の見どころ解説】
★霊屋は修学旅行・観光で絶対に見る価値があります。霊屋は内陣の須弥壇(しゅみだん)などに蒔絵(まきえ)が施され、「蒔絵の寺」とも言われています。霊屋は中央の厨子(ずし)に豊臣秀吉の念持仏(ねんじぶつ)・守り本尊と言われている大随求菩薩(だいずいくぼさつ)像、右の厨子に豊臣秀吉の坐像、左の厨子に北政所(きたのまんどころ)の片膝立の木像を安置しています。北政所の木像は白い護巾を頭に被る尼僧姿です。北政所の木像の地下数メートルには1624年(寛永元年)10月17日に亡くなった北政所の遺骸が葬られていると言われています。霊屋には絵師・狩野永徳(かのうえいとく)などが描いた絵もあります。
★霊屋の歴史は1605年(慶長10年)に北政所が建立しました。伏見城の遺構とも言われています。
★霊屋の建築様式は屋根が宝形造(ほうぎょうづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。正面に向拝(こうはい)一間、唐破風(からはふ)付きです。
★霊屋は須弥壇などに黒漆(くろうるし)に金蒔絵(きんまきえ)が施され、高台寺蒔絵と言われています。蒔絵は幸阿弥(こうあみ)一門らが制作したと言われています。
★霊屋は豊臣秀吉を祀っている東山・阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)の豊国廟(ほうこくびょう)に向かって建立されていると言われています。
【天井画「龍図」がある開山堂(重要文化財)の見どころ解説】
★開山堂は霊屋に次ぎ、修学旅行・観光で見る価値があります。開山堂は北政所の持仏堂(じぶつどう)だったと言われ、臥龍廊で霊屋と結ばれています。開山堂は中央に高台寺を曹洞宗(そうとうしゅう)から臨済宗(りんざいしゅう)に改めた中興開山・三江紹益(さんこうじょうえき)像、右に北政所の兄・木下家定(きのしたいえさだ)と妻・雲照院(うんしょういん)像、左に高台寺普請に尽力した堀直政(ほりなおまさ)像を安置しています。天井に絵師・狩野山楽(かのうさんらく)が描いたと言われている天井画「龍図」もあります。
★開山堂の歴史は1605年(慶長10年)に北政所が建立しました。その後1625年(寛永2年)に増築されたと言われています。
★開山堂は禅宗様(ぜんしゅうよう)の仏堂です。開山堂の建築様式は屋根が入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。天井に豊臣秀吉の御座舟(ござぶね)の天井と北政所の御所車(ごしょぐるま)の天井が使われ、床は総瓦敷きです。
【伏見城から移築した茶室・傘亭(重要文化財)の見どころ解説】
★茶室・傘亭は屋根付きの土間廊下(どまろうか)で時雨亭(しぐれてい)と繋がっています。傘亭はかつて池に面し、舟が出入りする舟入口があります。傘亭は正式には安閑窟(あんかんくつ)と言うが、屋根裏の竹垂木(たけだるき)が傘の骨に似ていることから傘亭と言われています。また草堂(そうどう)・高堂(こうどう・学問所)とも言われていました。
★傘亭の歴史は桃山時代(1583年~1603年)に伏見城に建てられたと言われています。北政所が伏見城から移築したと言われています。傘亭は千利休(せんのりきゅう)好みとも言われています。
★傘亭の建築様式は屋根が宝形造の茅葺(かやぶき)です。傘亭は天井板がなく、丸太と竹で扇垂木(おうぎだるき)状に組まれた化粧屋根裏(けしょうやねうら)です。
【伏見城から移築した茶室・時雨亭(重要文化財)の見どころ解説】
★茶室・時雨亭は珍しい二階建て(一重二階)の茶室で、傘亭と繋がっています。時雨亭は一階が水屋兼待合、二階が茶席で、三方の掛け戸を突き上げで開くことができます。時雨亭は豊臣秀吉が時雨のように不意に訪れたことから名付けられたとも言われています。
★時雨亭の歴史は江戸時代前期(1615年~1660年)に建てられました。北政所が伏見城から移築したと言われています。時雨亭は千利休好みとも言われています。
★時雨亭の建築様式は屋根が入母屋造の茅葺です。
★時雨亭では北政所が1615年(慶長20年)の大坂城落城を二階から見ていたとも言われています。
【伏見城から移築された観月台(重要文化財)の見どころ解説】
★観月台(楼船廊)は開山堂と書院を結ぶ楼船廊(ろうせんろう)の途中にあります。観月台は豊臣秀吉遺愛とも言われています。また北政所が豊臣秀吉を偲びながら月を眺めたとも言われています。
★観月台の歴史は桃山時代(1583年~1603年)に建てられました。北政所が伏見城から移築したと言われています。
★観月台の建築様式は一間四方で、屋根が三方唐破風造(からはふづくり)の檜皮葺です。
【伏見城から移築された表門(重要文化財)の見どころ解説】
★表門は境内から少し離れて建立されています。表門は総門・山門とも言われています。
★表門の歴史は桃山時代(1583年~1603年)に豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍(しずがたけのしちほんやり)に数えられた加藤清正(かとうきよまさ)が伏見城に建て、伏見城から移築されたと言われています。
★表門の建築様式は三間(さんげん)薬医門(やくいもん)で、屋根が切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺です。
【小堀遠州作庭と言われる庭園(名勝・史跡)の見どころ解説】
★庭園は修学旅行・観光で見る価値があります。写真映えして人気もあります。庭園は東山を借景に臥龍池(がりょういけ)・偃月池(えんげつち)がある池泉回遊式庭園です。偃月池に亀島・鶴島があり、鶴亀の庭とも言われています。石・樹木は伏見城から移されたとも言われています。なお枝垂桜・萩などの植物も植えられています。
★庭園の歴史は大名・茶人・作庭家である小堀遠州(こぼりえんしゅう・小堀政一(こぼりまさかず))が作庭したと言われています。石組みの見事さから桃山時代(1583年~1603年)を代表する庭園と言われています。
【木下家定が鋳造させた梵鐘(重要文化財)の見どころ解説】
★梵鐘は高さ約2メートル・口径約1.1メートルです。梵鐘には曹洞宗(そうとうしゅう)の僧・弓箴善彊(きゅうしんぜんきょう)による撰文があります。なお2016年(平成28年)に新しい梵鐘が約400年振りに新調されました。新しい梵鐘は高さ約2メートル・直径約1.2メートル・重さ約2トンです。
★梵鐘の歴史は1606年(慶長11年)に北政所の兄・木下家定(きのしたいえさだ)が三条釜座(さんじょうかまんざ)・藤原対馬守国久(ふじわらつしまのかみくにひさ)に鋳造させました。
【高台寺の本堂である方丈の見どころ解説】
★方丈は見逃せません。方丈は高台寺の本堂で、本尊・釈迦如来(しゃかにょらい)坐像を安置しています。方丈前には庭園・波心庭が作庭され、枝垂桜が植えられています。波心庭ではライトアップが行われ、プロジェクションマッピングが行われることもあります。
★方丈の歴史は1912年(大正元年)に再建されました。なお方丈は伏見城から移築されて創建されたと言われています。
【拝観順路の入口に位置する庫裏の見どころ解説】
★庫裏(くり)は拝観受付の側にあり、方丈と繋がっています。庫裏は本来台所で、玄関に「夢」と書かれた衝立(ついたて)があります。なお庫裏は通常非公開です。
★庫裏の建築様式は屋根が切妻造の本瓦葺です。
【方丈とともに再建された勅使門の見どころ解説】
★勅使門(ちょくしもん)は方丈の南にあり、勅使門と方丈の間に波心庭があります。
★勅使門の歴史は1912年(大正元年)に方丈とともに再建されました。
【臥龍池に架けられた臥龍廊の見どころ解説】
★臥龍廊(がりょうろう)は見逃せません。臥龍廊は臥龍池(がりょういけ)の上に架けられ、霊屋と開山堂を結ぶ全長約60メートルの屋根付きの廊下・階段です。ただ現在は通ることはできません。なお臥龍廊は臥龍廊は龍の背に似ているところから名付けられました。
【吉野窓がある茶室・遺芳庵の見どころ解説】
★茶室・遺芳庵(いほうあん)は一畳台目の田舎屋風の茶室です。壁一杯に設けられた丸窓は吉野窓と言われています。
★遺芳庵の歴史は江戸時代(1603年~1868年)に京都の豪商・灰屋紹益(はいやじょうえき)が島原の名妓で、夫人・吉野太夫(よしのたゆう)を偲んで建てたとも言われています。遺芳庵は1908年(明治41年)に灰屋紹益の旧邸跡から移築されました。
★吉野太夫は香道・和歌・華道・茶道にも精通した島原の名妓だったそうです。
【楽焼きの鬼瓦がある茶室・鬼瓦席の見どころ解説】
★茶室・鬼瓦席(おにがわらのせき)は四畳半の茶室です。鬼瓦席は点前畳の上に楽焼きの鬼瓦があることから名付けられたそうです。
★鬼瓦席の歴史は灰屋紹益と吉野太夫を偲んで建てられたと言われています。鬼瓦席は遺芳庵と同じく、1908年(明治41年)に灰屋紹益の旧邸跡から移されました。
●上記以外は下記リンクから確認することができます。
高台寺見どころ(利生堂・桜と桜ライトアップなど)
【高台寺の見どころ 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・高台寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ


















