宝塔寺多宝塔・宝塔寺見どころ(修学旅行・観光)

宝塔寺多宝塔

●宝塔寺多宝塔は1906年(明治39年)4月14日に国の重要文化財に指定されました。
●宝塔寺多宝塔は室町時代中期の1438年(永享10年)に建立されました。宝塔寺は室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年)で伽藍の多くを焼失したが、多宝塔だけが唯一焼失を免れたと言われています。多宝塔は京都市内に現存する多宝塔の中で最古の多宝塔と言われています。
一般的に多宝塔は日本で上層を円形、下層を方形とした二重塔を言います。多宝塔は平安時代に密教が天台宗の宗祖である伝教大師・最澄や真言宗の宗祖である弘法大師・空海によって伝えられ、多宝塔も建立されるようになったとも言われています。鎌倉時代初頭に建立された滋賀県大津市の石山寺の多宝塔が現存最古の例です。多宝塔は元々東方の宝浄国の教主・多宝如来を安置する堂塔です。多宝塔はお釈迦様が大乗仏教の経典「法華経」を説いた際、空中に七宝の塔が現われ、塔中の多宝如来がお釈迦様に讚嘆して半座を空け、二如来が並座したと言われることに由来しています。
応仁の乱(応仁・文明の乱)は足利将軍家ならびに管領・畠山氏(はたけやまし)と斯波氏(しばし)の継嗣問題に端を発し、細川氏と山名の勢力争いが絡み合い、東軍総大将・細川勝元方と西軍総大将・山名宗全方に分れ、約11年間にわたって京都を中心として争われた大乱です。足利将軍家では室町幕府第8代将軍・足利義政には当初嗣子なく、管領・細川勝元とともに1464年(寛正5年)11月25日に弟で、天台宗・浄土院の門跡・義尋を還俗させ、足利義視として将軍職に就けようとしました。しかし1465年(寛正6年)11月23日に足利義政の正室・日野富子が室町幕府第9代将軍となる足利義尚を生んだことから日野氏は山名宗全とともに足利義尚を将軍職に就けようとしました。畠山氏では畠山政長と畠山義就兄弟の継嗣争いがあり、室町幕府第8代将軍・足利義政と細川勝元が畠山政長を助け、畠山義就を追いました。斯波氏では子がなく、斯波義敏を継嗣としたが、家宰らが斯波義敏を廃し、斯波義廉を立てようとし、細川勝元・山名宗全が干渉しました。
●宝塔寺多宝塔は高さ約11.4メートルの三間(さんげん)多宝塔で、本瓦葺(ほんがわらぶき)です。瓦屋根は行基葺(ぎょうきぶき)と言われています。行基葺では丸瓦を重ね合わす際、一方の端を他の端よりも太くして重ねます。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
宝塔寺

京都観光おすすめ

  1. 錦市場
  2. 竹林の道
  3. 嵐山
ページ上部へ戻る