百萬遍知恩寺鎮守堂・百萬遍知恩寺見どころ(修学旅行・観光)

百萬遍知恩寺鎮守堂

●百萬遍知恩寺鎮守堂は2017年(平成29年)2月23日に国の重要文化財に指定されました。
●百萬遍知恩寺鎮守堂は江戸時代前期の1662年(寛文2年)に再建されました。百萬遍知恩寺は明治維新後の神仏分離以前は賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)の神宮寺であったことから鎮守堂では本地仏(ほんじぶつ)である虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)・如意輪観音(にょいりんかんのん)・荼枳尼天(だきにてん)を祀っています。なお百萬遍知恩寺は賀茂社との関わりが深く、賀茂の河原屋(かものかわらや)・賀茂の禅坊(かものぜんぼう)・賀茂の釈迦堂(かものしゃかどう)と言われています。浄土宗の宗祖・法然上人は賀茂の神職から招かれ、賀茂の河原屋に一時住しました。
上賀茂神社は社伝によると神代の昔に賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)が現社殿の北北西にある秀峰・神山(こうやま)に降臨したのが起源とも言われています。その後飛鳥時代後期の678年(天武天皇7年)に賀茂神宮が造営されたとも言われています。794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都以降は皇城鎮護(こうじょうちんご)の神・山城国(やましろのくに)一之宮(いちのみや)として、桓武天皇を初めとする歴代天皇が行幸・奉幣祈願されたと言われています。平安時代初期の807年(大同2年)に最高位である神階・正一位(しょういちい)を賜り、葵祭が勅祭になりました。
下鴨神社は社伝によると初代・神武天皇の時代(紀元前660年~紀元前582年)に祭神・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が比叡山西麓の御蔭山(みかげやま)に降臨したのが起源とも言われています。また下鴨神社は紀元前90年(崇神天皇7年)に瑞垣(みずかき)の修造の記録があり、それ以前から祀られていたとも言われています。その後第29代・欽明天皇の時代(539年~571年)に欽明天皇が勅使を派遣して葵祭が始まり、678年(天武天皇7年)に社殿が造営され、奈良時代の天平年間(729年~749年)には上賀茂神社から分置されたとも言われています。
●百萬遍知恩寺鎮守堂は一間社(いっけんしゃ)流造(ながれづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
百萬遍知恩寺

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