金閣寺胡蝶侘助・金閣寺見どころ

金閣寺胡蝶侘助

●金閣寺胡蝶侘助は江戸時代前期に第108代・後水尾天皇がお手植えしたとも言われる樹齢300年以上の椿です。胡蝶侘助は例年3月中旬頃から4月上旬頃に見ごろを迎えます。胡蝶侘助は大徳寺(だいとくじ)の塔頭・総見院(そうけんいん)に次ぐ大きさとも言われています。なお「侘助」は侘助と称した笠原宗全(かさはらそうぜん)が好んだことに由来するとも言われています。
椿はツバキ科ツバキ属の常緑樹です。椿は日本原産で、北海道などを除く日本各地に分布しています。椿は日本最古の和歌集「万葉集(まんようしゅう)・奈良時代末期成立」に9首見られ、近世に茶花として好まれ、多くの園芸品種が作られました。500以上の園芸品種があるそうです。なお椿は邪悪を祓うとも言われ、平安時代に長寿・招福・吉兆の木とされていたそうです。
第108代・後水尾天皇は安土桃山時代の1596年(文禄5年)6月29日に第107代・後陽成天皇と女御・中和門院(ちゅうかもんいん・近衛前子(このえさきこ))の間に第3皇子として生まれました。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)で勝利した江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)が皇位継承に介入し、次期天皇に決まったが、父・後陽成天皇と不仲になりました。1600年(慶長5年)に親王宣下を受け、1611年(慶長16年)に第107代・後陽成天皇が譲位すると第108代・後水尾天皇になりました。その後江戸幕府による公家衆法度(くげしゅうはっと)・勅許紫衣法度(ちょっきょしえはっと)・禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)の制定や東福門院(とうふくもんいん・徳川和子(とくがわまさこ))の入内・およつ御寮人事件(およつごりょうにんじけん)・紫衣事件(しえじけん)・金杯事件(きんぱいじけん)などにより、1629年(寛永6年)11月8日に江戸幕府への通告しないまま後水尾天皇と東福門院との間に生まれた第2皇女・興子内親王(第109代・明正天皇)に譲位し、第109代・明正天皇、第110代・後光明天皇、第111代・後西天皇、第112代・霊元天皇後見人として院政を行いました。また後水尾天皇は1653年(承応2年)から修学院離宮(しゅがくいんりきゅう)の造営を開始し、1655年(承応4年)に完成しました。なお第108代・後水尾天皇は1680年(延宝8年)9月11日に85歳で崩御しました。
総見院は安土桃山時代の1583年(天正11年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が1582年(天正10年)の本能寺の変(ほんのうじのへん)で自刃した織田信長(おだのぶなが)の一周忌追善法要の為に菩提寺として創建しました。総見院の寺号は織田信長の法名・総見院殿贈大相国一品泰厳大居士(そうけんいんでんぞうだいしょうこくいっぽんたいげんだいこじ)に由来しています。ちなみに豊臣秀吉は当初織田信長が父・織田信秀(おだのぶひで)の追善菩提の為に創建した大徳寺の塔頭・黄梅院(おうばいいん)を菩提寺として増改築したが、「小なり」として総見院を創建しました。明治維新後の廃仏毀釈によって伽藍の多くが破却され、大正時代に再建されました。1961年(昭和36年)に大徳寺に安置されていた織田信長木像が戻され、380年忌が行われました。
金閣寺見どころ

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