清水寺十一重石層塔・清水寺見どころ(修学旅行・観光)

清水寺十一重石層塔

●清水寺十一重石層塔は放生池(ほうじょうち)の南側に建立されています。清水寺は室町時代中期の1469年(文明元年)の応仁の乱による兵火や江戸時代前期の1629年(寛永6年)の火災によって多くの伽藍を焼失しました。その後江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)の寄進によって伽藍の再建が始まり、十一重石層塔は1634年(寛永11年)に伽藍の再建を祈願する為に本堂(清水の舞台)の東側に建立されました。その後1918年(大正7年)に現在の場所に移されました。なお十一重石層塔は一層目に石仏が刻まれ、上層に行くほど屋根が小さくなっています。
徳川家光は江戸時代初期の1604年(慶長9年)8月12日に江戸幕府2代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)と浅井長政(あざいながまさ)の娘・江(ごう・崇源院(すうげんいん))の次男・竹千代(たけちよ)として江戸城西の丸に生まれました。徳川家光は病弱で、吃音(きつおん)があり、1606年(慶長11年)に徳川秀忠と江に寵愛される弟・徳川忠長(とくがわただなが)が生まれると世継ぎ争いが起こりました。元和年間(1615年~1624年)に春日局(かすがのつぼね)が江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)に直訴したことによって徳川家光が世継ぎに決着しました。1620年(元和6年)に元服し、名前を徳川家光に改め、従三位(じゅさんみ)権大納言(ごんだいなごん)に任命されました。1623年(元和9年)7月27日に父・徳川秀忠とともに上洛して伏見城で将軍宣下を受け、江戸幕府3代将軍になり、正二位(しょうにい)内大臣(ないだいじん)に任命されました。その後武家諸法度(ぶけしょはっと)・参勤交代制(さんきんこうたいせい)などの諸制度を整備したり、キリシタン禁制や貿易統制の為に鎖国を行ったりし、江戸幕府の基礎を確立し、「武断政治」と言われました。なお徳川家光は1651年(慶安4年)6月8日に江戸城内で亡くなりました。
本堂(清水の舞台)は1633年(寛永10年)に再建されました。本堂(清水の舞台)は崖の斜面にせり出すように建立され、内々陣・内陣・外陣(礼堂)・舞台に分かれています。内々陣には33年に1度開扉される本尊・千手観音立像が安置されています。
朝倉堂は1633年(寛永10年)に再建されました。朝倉堂はかつて1510年(永正7年)に観音を篤く信仰した越前の守護大名・朝倉貞景の寄進によって法華三昧堂として建立されました。朝倉堂には千手観音(秘仏)・毘沙門天・地蔵菩薩などが安置されています。
釈迦堂は1631年(寛永8年)に再建されました。その後1972年(昭和47年)の集中豪雨によって倒壊し、1975年(昭和50年)に旧材を使って復元されました。釈迦堂には須弥壇に釈迦三尊が安置されています。
阿弥陀堂は1631年(寛永8年)に再建されました。阿弥陀堂では1188年(文治4年)に浄土宗の開祖・法然上人が念仏を修したことから日本初の常行念仏道場とも言われています。阿弥陀堂には阿弥陀如来坐像が安置されています。
奥の院は1633年(寛永10年)に再建されました。奥の院は延鎮上人・行叡居士の草庵跡とも言われ、本堂と同様に懸造・舞台造になっています。奥の院には千手観音・毘沙門天・地蔵菩薩などが安置されています。
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