清水寺弁慶の鉄の下駄と錫杖・清水寺見どころ(修学旅行)

清水寺弁慶の鉄の下駄と錫杖

●清水寺弁慶の鉄の下駄(げた)と錫杖(しゃくじょう)は本堂(国宝)入口付近で、大黒さまの前あたりに置かれています。鉄の下駄は片方が約12キロあります。大錫杖は長さ約2.6メートル・重さ約96キロ、小錫杖は長さ約1.7メートル 重さ約17キロあります。鉄の下駄と錫杖は弁慶が使用していたとも言われ、清水寺七不思議に数えられています。また鉄の下駄と錫杖は音羽の滝の行者(ぎょうじゃ)が満願成就の御礼に収めたとも言われています。なお錫杖を持ち上げるとご利益があるとも言われています。
下駄は足を乗せる木製の台に鼻緒を通した履物です。下駄は古くは足駄(あしだ)・木履(ぼくり)などとも言われていました。下駄は木製の台に「歯」と言われる接地用の突起部が付けられ、「眼」と言われる3つ穴に鼻緒(前緒・横緒)を通し、鼻緒を足の親指と人差し指の間に挟んで履きます。台と歯が一体となっているものを連歯、台に歯を差込むものを差歯と言います。下駄は古くから稲作などで使用され、弥生時代後期(1世紀頃)の静岡県静岡市・登呂遺跡(とろいせき)からも出土しています。
錫杖は修行や布教の為に各地を巡り歩く遊行僧(比丘(びく))が携帯する仏具で、楊枝(ようじ)・澡豆(そうず)・三衣(さんえ)・瓶(びょう)・鉢(はち)・坐具(ざぐ)・香炉(こうろ)・漉水嚢(ろくすいのう)・手巾(しゅきん)・刀子(とうす)・火燧(かすい・燧石(ひうちいし))・鑷子(にょうす・毛抜(けぬき))・縄床(じょうしょう)・経(きょう)・律(りつ)・仏像(ぶつぞう)・菩薩像(ぼさつぞう)とともに比丘十八物(びくじゅうはちもつ)に数えられています。錫杖は有声杖・鳴杖・智杖・徳杖・金錫とも言われています。錫杖は上部(頭部)が塔婆(とうば)を象って大環を付け、その大環に遊環(小環)を6個または12個通し、揺すと音がでます。錫杖は振動により、煩悩を除去し、智慧を得るとも言われています。
弁慶(べんけい・武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい))は軍記物語「義経記(ぎけいき)」によると紀伊国の熊野別当(べっとう)の子として生まれ、紀伊国出身とも言われています。父は鬼子だとして殺そうとしたが、叔母に引き取られて「鬼若」と名付けられ、京都で育てられたとも言われています。比叡山(ひえいざん)の桜本僧正に預けられたが、修行せずに乱暴だったことから追い出され、自ら剃髪して武蔵坊弁慶と名乗ったと言われています。その後四国から播磨国に行っても乱暴狼藉を繰り返し、播磨国にある書写山(しょしゃざん)圓教寺(えんぎょうじ)の堂塔を炎上させたと言われています。やがて京都に戻り、1,000本の太刀(たち)を武者から奪い取る悲願を立て、999本まで奪い取りました。そして最後の1本を奪い取ろうと五条大橋で笛を吹きながら通りすがる牛若丸(うしわかまる・源義経(みなもとのよしつね)と出会って決闘したが、返り討ちに遭って主従の契りを結びました。ちなみに弁慶と牛若丸は五条天神社で出会い、翌日清水観音(清水寺)で決闘したとも言われています。その後源義経の平家討伐に尽力し、源義経が兄で、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)と対立した際も常に付き従い、奥州平泉(ひらいずみ)の藤原秀衡(ふじわらのひでひら)のもとまで同行しました。しかし1189年(文治5年)の藤原泰衡(ふじわらのやすひら)による衣川の戦い(ころもがわのたたかい)で源義経とともに亡くなりました。
本堂は1633年(寛永10年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)の寄進によって再建されました。本堂は内々陣・内陣・外陣(礼堂(らいどう))・舞台に分かれ、内々陣に33年に1度開扉される本尊・千手観音(せんじゅかんのん)立像が安置されています。
音羽の滝は音羽山(おとわやま)山中がら湧き、一度も涸れたことがないと言われています。音羽の滝は3本の筧(かけい)から水が流れ落ち、それぞれに学問成就・恋愛成就・延命長寿のご利益があるとも言われています。
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