清水寺大黒天像・清水寺見どころ(修学旅行)

清水寺大黒天像

●清水寺大黒天像(出世大黒)は本堂(清水の舞台)外陣の西側に祀られています。大黒天像は室町時代に造られた像高約113センチ・重さ約310キロの木像です。大黒天像は黒い顔・体で、大きな頭巾(ずきん)を被り、左肩に宝物袋・右手に打出の小槌(こづち)を持ち、米俵を踏んでいます。大黒天像は参拝者が投げるさい銭を体に浴び、その表面が傷んでいたが、2008年(平成20年)に清水寺の依頼で京都伝統工芸大学校(京都府南丹市)の教授や学生が修復しました。大黒天像は約8カ月掛け、漆が塗り直され、蒔絵の技法も使われ、朱色・金色・黒色など鮮やかな色合いに復元されました。なお清水寺の大黒天は江戸時代後期の文政年間(1818年~1830年)に東山界隈で定められた東山七福神(しちふくじん)に数えられました。東山七福神では清水寺の大黒天・円山弁財天堂の弁財天(べんざいてん)・長楽寺の布袋(ほてい)・双林寺の福禄寿(ふくろくじゅ)・恵美須神社の恵比寿(えびす)・東福寺の毘沙門天(びしゃもんてん)・伏見稲荷大社の寿老人(じゅろうじん)を巡りました。
大黒天は福禄寿・恵比寿・毘沙門天・布袋・寿老人・弁財天とともに七福神に数えられています。大黒天は元々インド・ヒンドゥー教で、青黒い身体を持つ破壊神・シヴァ神の化身であるマハーカーラが起源とされ、仏教(密教)に取り入られました。マハーカーラには偉大な黒い神などの意味があります。密教ではシヴァ神である大自在天(だいじざいてん)の眷属(けんぞく)で、三宝(仏・法・僧)を守護し、飲食を司り、胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)の外金剛部院(げこんごうぶいん)入れられました。大黒天は密教の伝来とともに伝わり、天台宗(てんだいしゅう)の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)が毘沙門天(びしゃもんてん)・弁才天(べんざいてん)と合体した三面大黒天を比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)の台所の守護神として祀ったのが始まりとも言われています。なお大黒天には五穀豊穣・出世開運・商売繁盛などのご利益があるとも言われています。
本堂(清水の舞台)は1633年(寛永10年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光の寄進によって再建されました。本堂(清水の舞台)は崖・錦雲渓の斜面にせり出すように建立され、内々陣・内陣・外陣(礼堂)・舞台に分かれています。内々陣には33年に1度開扉される本尊・千手観音立像が安置され、舞台では千手観音立像に芸能が奉納されていました。
吉水弁財天堂(円山弁財天堂)は建久年間に青蓮院・慈鎮(慈円)が安養寺を中興した際、比叡山・無動寺から弁財天を寺の鎮守として勧請したのが起源です。吉水弁財天堂は安養寺の境外仏堂です。
長楽寺は805年(延暦24年)に伝教大師・最澄が桓武天皇の勅命により、自ら刻んだ観世音菩薩を本尊として安置したのが起源と言われています。長楽寺は延暦寺の別院として創建されました。その後法然上人の弟子・隆寛が浄土宗に改めました。
双林寺は805年(延暦24年)に伝教大師・最澄が桓武天皇の勅願によって創建したと言われています。823年(弘仁14年)に延暦寺の別院になりました。その後永治年間に鳥羽天皇の皇女・綾雲女王が住持になって双林寺宮と言われました。
恵美須神社は1202年(建仁2年)に明庵栄西禅師が建仁寺を創建した際、建仁寺の鎮守として造営されたと言われています。建仁寺が応仁の乱で焼失し、その後再建された際、恵美須神社は現在の場所に移ったと言われています。
東福寺は924年(延長2年)に藤原忠平が創建した藤原氏の氏寺・法性寺があった場所です。東福寺は1236年(嘉禎2年)に九条道家が高さ5丈の釈迦像を安置する寺院を創建することを発願し、聖一国師・円爾を開山として仏殿を建立したのが起源です。
伏見稲荷大社は社伝によると奈良時代初期の711年(和銅4年)2月初午の日に伊侶巨秦公が勅命を受け、伊奈利山(稲荷山)の三つの峯の平らな場所に稲荷大神を祀ったことが起源と言われています。
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