龍吟庵方丈・龍吟庵見どころ(修学旅行・観光)

龍吟庵方丈

●龍吟庵方丈は1953年(昭和28年)3月31日に国の重要文化財、1963年(昭和38年)7月1日に国宝に指定されました。
●龍吟庵方丈は南北朝時代の1387年(元中4年・嘉慶元年)に建立されました。方丈は室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年)以前にさかのぼる南北朝時代(室町時代初期)に建立された国内最古の方丈建築と言われています。方丈は中央前面の間(室中)正面を壁とし、仏壇を設けないなど近世の方丈形式と異なり、古式を伝えています。また前面に蔀戸(しとみど)を設け、側面にも扉を設けるなど書院造に寝殿造風の名残が残されています。なお方丈は1964年(昭和39年)に重森三玲が作庭した東庭(不離の庭)・西庭(龍の庭)・南庭(無の庭)に囲まれています。
一般的に方丈は1丈(約3メートル)四方の部屋を意味し、禅宗寺院の住持(住職)や長老の居室を指します。方丈は大乗仏教の経典「維摩経」にインドの在家仏徒・維摩居士が神通力で1丈四方の部屋に文殊菩薩など8,000人の菩薩や仏弟子である500人の声聞を招き入れたという故事に由来しています。そこから方丈に全宇宙が内在し、住職の居室を方丈というようになりました。方丈は堂頭・堂上・正堂・函丈とも言われています。
重森三玲は1896年(明治29年)に岡山県に生まれました。三玲の名前は「落穂拾い」・「晩鐘」・「種まく人」で知られるフランスの画家であるジャン=フランソワ・ミレーに因んでいます。子供の頃から絵画・生け花・茶道を好み、その後日本美術学校で日本画を学び、生け花・茶道も習いました。1917年(大正6年)に画家を志し上京するが、1929年(昭和4年)に京都に移り住み、翌1930年(昭和5年)にいけばな草月流の創始者・勅使河原蒼風らと「新興いけばな宣言」を起草し、いけばなの革新を提唱しました。1949年(昭和24年)に前衛いけばなの創作研究グループ・白東社を主宰し、前衛いけばな誌「いけばな藝術」を創刊しました。また日本庭園を独学で学び、1936年(昭和11年)から日本全国の庭園を調査し、500箇所に及ぶ調査から日本庭園史の先駆けになり、1939年(昭和14年)に「日本庭園史図鑑」26巻を出版し、1976年(昭和51年)に息子・完途(かんと)とともに「日本庭園史大系」全33巻(別巻2巻)を出版しました。重森三玲は日本庭園史の研究家だけでなく、作庭家としても活動しました。なお重森三玲は1975年(昭和50年)に亡くなりました。
●龍吟庵方丈は桁行約16.5メートル・梁間約12.9メートルで、入母屋造(いりもやづくり)のこけら葺(こけらぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。
こけら葺は木材の薄板を使って屋根を葺く方法です。こけら葺は板葺(いたぶき)の一種です。板葺では板厚が2~3ミリの場合にこけら葺、板厚が4~7ミリの場合に木賊葺(とくさぶき)、板厚が1~3センチの場合に栩葺(とちぶき)と言われています。板葺にはヒノキ・サワラ・スギ・エノキ・トクサ・クヌギなどが用いられます。板葺は古墳時代から屋根に用いられるようになったとも言われ、茅葺(かやぶき)に次いで古いとも言われています。
龍吟庵

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