八坂神社忠盛灯籠・八坂神社見どころ

八坂神社忠盛灯籠

●八坂神社忠盛灯籠は本殿東側の大神宮社(だいじんぐうしゃ)と悪王寺社(あくおうじしゃ)の間に建立されています。八坂神社忠盛灯籠は平安時代後期の永久年間(1113年~1118年)以前から建立されていたと言われています。
一般的に灯籠(燈籠)は灯火を灯す器具です。灯籠は神社で神前の御灯(みあかし)や献灯に用いられます。ま社頭の装飾などにも用いられることもあります。灯籠は原型が中国大陸から朝鮮半島を経て、仏教とともに伝来したと言われています。ちなみに当麻寺(たいまでら)の石灯籠(重要文化財)は白鳳時代(645年(大化元年)~710年(和銅3年))に造られ、日本最古の石灯籠とも言われています。灯籠は宝珠(ほうじゅ・擬宝珠(ぎぼうしゅ))・笠(かさ)・火袋( ひぶくろ)・中台(ちゆうだい)・竿(さお)・基礎などから構成され、火袋に灯火が灯されます。灯籠にはその形から春日(かすが)・雪見(ゆきみ)・岬(みさき)・織部(おりべ)・遠州(えんりゅう)・道成寺(どうじょうじ)・キリシタンなどの種類があります。なお灯籠には木灯籠・陶灯籠・金灯籠・石灯籠などがあります。
●八坂神社忠盛灯籠には伝承が残され、八坂神社七不思議に数えられています。
平安時代後期の永久年間(1113年~1118年)頃に白河法皇(第72代・白河天皇)が祇園女御(ぎおんにょうご)のもとを訪れようと八坂神社付近を通った際、五月雨の降る夜に前方で鬼のようなものが見えました。白河法皇はお供していた平清盛(たいらのきよもり)の父・平忠盛(たいらのただもり)に討ち取ることを命じ、平忠盛は正体を確かめた上でと生捕りにすると油壺と松明(たいまつ)を持って、灯籠に燈明(とうみょう)を献灯しようとしていた八坂神社の社僧でした。雨を防ぐ蓑(みの)が燈明の光を受けて銀の針のように見えたと言われています。平忠盛の思慮深さが人々の感嘆するところであったと言われたそうです。
平忠盛は平安時代後期の1096年(永長元年)に白河法皇(第72代・白河天皇)に北面武士として仕えた平正盛(たいらのまさもり)の長男として生まれました。1108年(天仁元年)13歳で左衛門少尉(さえもんのしょうじょう)になり、1111年(天永2年)に検非違使(けびいし)を兼帯して都の治安維持に従事し、1113年(天永4年)に盗賊・夏焼大夫(なつやぎだゆう)を追捕して従五位下に叙されました。1114年(永久2年)に白河法皇の寵妃・祇園女御(ぎおんのにょうご)に仕え、1117年(永久5年)に第74代・鳥羽天皇に入内した皇后(中宮)・藤原璋子(ふじわらのしょうし)の政所別当(まんどころべっとう)になりました。1120年(保安元年)に白河院(白河法皇)の昇殿を許され、藤原宗子(池禅尼(いけのぜんに))を正室にしました。1129年(大治4年)・1135年(保延元年)に山陽道・南海道の海賊を討って西国に平氏勢力の基礎を築き、内昇殿を許されました。また院庁(いんのちょう)に進出して院領荘園(しょうえん)を支配し、九州の神崎荘(かんざきのしょう)で日宋(にっそう)貿易を行って経済力を築きました。1149年(久安5年)に内蔵頭(くらのかみ)になり、1151年(仁平元年)に刑部卿(ぎょうぶきょう)なりました。平忠盛は歌人としても知られ、家集「平忠盛集」があります。なお平忠盛は1153年(仁平3年)2月10日に亡くなりました。
八坂神社見どころ

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