醍醐寺三宝院唐門・醍醐寺見どころ(修学旅行・観光)

醍醐寺三宝院唐門

●醍醐寺三宝院唐門は1898年(明治31年)12月28日に国の重要文化財、1954年(昭和29)3月20日に国宝に指定されました。
●醍醐寺三宝院唐門は安土桃山時代から江戸時代初期の1573年(天正元年)~1614年(慶長19年)に建立されました。唐門は朝廷からの勅使を迎える時にだけ扉を開かれるる勅使門とされていました。創建時には門全体が黒の漆で塗られ、表裏に菊と五七の桐の四つの紋に金箔が施されていました。2010年(平成22年)に解体修理が行われ、往時の壮麗な姿に修復されました。修復後の7月6日(醍醐寺開山である理源大師・聖宝の命日)に落慶法要が営まれ、その後通り初(ぞ)め式が行われました。なお唐門は遺されていた墨書などから本来別の場所に建立される予定であったが、何らかの事情によって三宝院に建立されたと言われています。また唐門は関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の正室・北政所(きたのまんどころ)の寄進によって建立されたとも、豊臣政権の五奉行・前田玄以(まえだげんい)が奉行として建立したとも言われる伝承が残されています。
一般的に唐門は切妻造(きりづまづくり)・入母屋造(いりもやづくり)の屋根に丸みをつけて造形した唐破風(からはふ)がついた門です。唐門は豪華な彫刻が施されたものは向唐門(むこうからもん)、唐破風が妻にある簡素なものは平唐門(ひららもん)と言われています。唐門は平安時代後期に見られるようになり、桃山時代が隆盛期と言われています。
一般的に勅使門は天皇の使者・勅使が寺院に参向した際に出入りに使われる門です。ちなみに使者は上皇の場合に院使(いんし)、皇后の場合に皇后宮使(こうごうぐうし)、中宮の場合に中宮使(ちゅうぐうし)、皇太后の場合に皇太后宮使(こうたいごうぐうし)、女院の場合に女院使(にょいんし)と言われます。
北政所は1548年(天文17年)または1549年(天文18年)に杉原定利と朝日殿)の次女として生まれました。その後叔母・七曲殿の嫁ぎ先である浅野長勝の養女になりました。1561年(永禄4年)に14歳で関白・豊臣秀吉(木下藤吉郎)と恋愛結婚しました。1585年(天正13年)に豊臣秀吉が関白になると従三位に叙せられ、北政所の称号を許されました。1588年(天正16年)に豊臣秀吉が造営した聚楽第に第107代・後陽成天皇が行幸し、無事に還御すると従一位に昇叙しました。1598年(慶長3年)に豊臣秀吉が亡くなると豊臣秀吉の側室・淀殿とともに豊臣秀頼を後見し、1603年(慶長8年)に豊臣秀頼と徳川家康の孫で、徳川秀忠の長女・千姫と結婚すると落飾し、朝廷から院号を賜って高台院快陽心尼(高台院湖月心尼)と称しました。1606年(慶長11年)に高台寺を創建し、豊臣秀吉の菩提を弔いました。なお北政所は1624年(寛永元年)10月17日に亡くなりました。
●醍醐寺三宝院唐門は三間一戸平唐門(さんげんいっこひらからもん)で、檜皮葺(ひわだぶき)です。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
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