三宝院見どころ-修学旅行・観光のポイント

三宝院

三宝院見どころ簡単解説

三宝院見どころを解説しています。修学旅行・観光に役立つ簡単まとめを提供。三宝院で見逃せない表書院(国宝)・唐門(国宝)などを解説しています。三宝院有数の見どころである唐門は2010年に解体修理され、門全体が黒漆で塗られ、表裏に菊と五七の桐の四つの紋に金箔が施されています。(三宝院見どころ下記参照)

【三宝院 歴史・簡単解説】京都世界遺産
三宝院(さんぼういん)は平安時代後期の1115年(永久3年)に左大臣(さだいじん)・源俊房(みなもとのとしふさ)の子で、醍醐寺(だいごじ)14代座主・勝覚(しょうか)が創建し、灌頂院(かんじょういん)と称したのが起源と言われています。その後仏教の三宝(仏・法・僧)に因んで、寺号が三宝院に改められ、1143年(康治2年)に鳥羽上皇(第74代・鳥羽天皇(とばてんのう))の御願寺(ごがんじ)になりました。室町時代に室町幕府から特別な扱いを受け、三宝院25世・満済(まんさい・まんぜい)は「黒衣の宰相(こくいのさいしょう)」と言われました。しかし応仁の乱(おうにんのらん)の兵火で焼失して廃寺同然になったが、関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)に篤く信仰され、三宝院を中心に「醍醐の花見」が開かれました。
京都世界遺産・三宝院歴史(起源・・・)

スポンサーリンク

【三宝院-表書院・簡単解説】★★★修学旅行
表書院とは見逃せない国宝(1954年(昭和29年)3月20日指定)です。表書院は上段の間・中段の間・下段の間があり、西南隅に泉殿が増設されています。上段の間に柳、中段の間に山野、下段の間に孔雀(くじゃく)・蘇鉄(そてつ)などが描かれた襖絵(ふすまえ)が飾られています。表書院は能の楽屋として奈良に建てられ、安土桃山時代の1598年(慶長3年)に関白・豊臣秀吉が醍醐の花見を行った際に奈良から移され、その後増改築が行われたと言われています。表書院は入母屋造(いりもやづくり)の桟瓦葺(さんがわらぶき)です。泉殿は切妻造(きりづまづくり)の桟瓦葺です。
(表書院・ポイント)
●下段の間は畳を揚げると能舞台になり、揚舞台(あげぶたい)の間とも言われています。上段の間・中段の間は下段の間よりも一段高く、能などを見下ろせます。

【三宝院-唐門・簡単解説】★★★修学旅行
唐門とは見逃せない国宝(1954年(昭和29年)3月20日指定)です。唐門は三間一戸(さんげんいっこ)の平唐門(ひらからもん)です。唐門は2010年(平成22年)に解体修理され、以前のように門全体が黒漆(くろうるし)で塗られ、表裏に菊と五七の桐の四つの紋に金箔が施されていました。唐門は安土桃山時代から江戸時代初期の1573年(天正元年)~1614年(慶長19年)に建立されました。なお唐門は檜皮葺(ひわだぶき)です。
(唐門・ポイント)
●唐門は勅使を迎える時にだけ扉を開かれる勅使門(ちょくしもん)です。

【三宝院-本堂・簡単解説】★修学旅行
本堂とは見逃せない重要文化財(1897年(明治30年)12月28日指定)です。本堂は仏師・快慶(かいけい)作の本尊・弥勒菩薩(みろくぼさつ)を安置していることから弥勒堂とも言われています。本堂は安土桃山時代の1598年(慶長3年)に建立されました。なお本堂は入母屋造の桟瓦葺です。
(本堂・ポイント)
●本堂は桁行五間・梁間三間です。
●本堂は本尊・弥勒菩薩、向かって右側に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)、左側に醍醐寺開山である理源大師(りげんだいし)・聖宝(しょうぼう)を安置しています。

【三宝院-純浄観・簡単解説】
純浄観(じゅんじょうかん)とは見逃せない重要文化財(1897年(明治30年)12月28日)です。純浄観には日本画家・浜田泰介(はまだたいすけ)が描いた桜・紅葉の襖絵が飾られています。純浄観は安土桃山時代の1598年(慶長3年)に関白・豊臣秀吉が行った醍醐の花見の際、標高約454メートルの醍醐山中腹である槍山(ひやま)に建てられ、その後三宝院に移されたと言われています。なお純浄観は入母屋造の茅葺(かやぶき)です。
(純浄観・ポイント)
●純浄観は桁行七間・梁間四間です。

【三宝院-奥宸殿・簡単解説】
奥宸殿とは見逃せない重要文化財(1897年(明治30年)12月28日)です。奥宸殿は門跡(もんぜき)の常御殿(おつねごてん)で、田の字型に上座の間・武者隠の間・次の間などがあります。奥宸殿には初期の狩野派の襖絵が描かれています。奥宸殿は安土桃山時代の1598年(慶長3年)に建立されたとも、江戸時代初期に建立されたとも言われています。なお奥宸殿は入母屋造の桟瓦葺です。
(奥宸殿・ポイント)
●上座の間には床・棚(違棚(ちがいだな))・附書院などがあり、棚は醍醐棚(だいごだな)とも言われています。

【三宝院-勅使之間・秋草の間・葵の間・簡単解説】
勅使之間・秋草の間・葵の間とは見逃せない重要文化財(1897年(明治30年)12月28日)です。勅使之間には桃山時代に長谷川等伯(はせがわとうはく)一派が描いた竹林花鳥図(ちくりんかちょうず)の襖絵があります。秋草の間には秋の七草が点在する襖絵があります。葵の間には葵祭(あおいまつり)の行列が描かれた襖絵があります。勅使之間・秋草の間・葵の間は安土桃山時代の1598年(慶長3年)に建立されました。勅使之間・秋草の間・葵の間は入母屋造の桟瓦葺です。
(勅使之間・秋草の間・葵の間・ポイント)
●勅使之間・秋草の間・葵の間には唐破風造(からはふづくり)の車寄(くるまよせ)があります。

【三宝院-庫裏・簡単解説】
庫裏とは見逃せない重要文化財(1897年(明治30年)12月28日)です。庫裏は3室に分かれ、白書院とも言われています。奥の間には床・違棚があり、黒漆塗りの床框(とこかまち)に秋草に虫の蒔絵(まきえ)が施されています。庫裏は安土桃山時代の1598年(慶長3年)に建立されました。なお庫裏は入母屋造の桟瓦葺です。
(庫裏・ポイント)
●庫裏は桁行約21.7メートル・梁間約13.8メートルです。

【三宝院-玄関・簡単解説】
玄関とは見逃せない重要文化財(1897年(明治30年)12月28日)です。玄関には車寄が附随しています。玄関前には高さ約13メートル・枝張り最大約15メートルの枝垂桜や紅梅・白梅などが植えられています。玄関は安土桃山時代の1598年(慶長3年)に建立されました。なお玄関は切妻造の本瓦葺(ほんがわらぶき)、車寄は唐破風造の檜皮葺です。
(玄関・ポイント)
●玄関は桁行約11.8メートル・梁間約16.9メートル、車寄は桁行約4.8メートル・梁間約5.8メートルです。

【三宝院-宝篋印塔・簡単解説】
宝篋印塔(ほうきょういんとう)とは見逃せない重要文化財(1956年(昭和31年)6月28日)です。宝篋印塔は三宝院墓地に建立されています。宝篋印塔は寺伝によると醍醐寺第65代座主・賢俊(けんしゅん)の菩提(ぼだい)を弔う為に建立されたとも言われています。
(宝篋印塔・ポイント)
●宝篋印塔は壇上積み(だんじょうづみ)の上に更に二重の壇を積み、蓮座(れんざ)と請座(うけざ)を設けた上に建立されています。請座側面には走獅子(しし)と牡丹(ぼたん)の文様が彫られています。

【三宝院-豊国大明神・簡単解説】
豊国大明神(とよくにだいみょうじん)は庭園背後に祀られています。豊国大明神は三宝院の殿舎や庭園の整備、そして醍醐寺五重塔の修復や金堂の再建などに尽力した関白・豊臣秀吉の恩に報いる為に建立されました。なお豊国大明神は流造(ながれづくり)の銅板葺(どうばんぶき)です。

【三宝院-庭園・簡単解説】★★★修学旅行
庭園とは見逃せない特別名勝・特別史跡に指定されています。庭園は殿舎南側に作庭された池泉回遊式庭園です。庭園は関白・豊臣秀吉が縄張りを行い、賢庭(けんてい)・与四郎・仙らが作庭したとも言われています。安土桃山時代の1598年(慶長3年)から作庭が始まり、同年8月に秀吉が亡くなると一時中断し、その後秀吉の正室・北政所(きたのまんどころ)の援助によって再開され、同年12月に大部分が完成したと言われています。翌1599年(慶長4年)から義演(ぎえん)が作庭を続け、義演死後の江戸時代前期の1624年(元和10年)まで続けられ、「天下一」とも賞賛されました。
(庭園・ポイント)
●庭園は「義演准后日記(ぎえんじゅごうにっき)」に作庭の経過が細かく記されています。

【三宝院-枕流亭・簡単解説】
枕流亭は上段の間・中段の間・水屋の間から構成されています。柱には平安時代に中国の亜熱帯地方から持ち込まれた棕櫚(しゅろ)や栗などの珍しい木が使われています。枕流亭は安土桃山時代の1598年(慶長3年)に藤戸石(ふじといし)とともに聚楽第(じゅらくてい)から移されて関白・豊臣秀吉好みとも、江戸時代中期に建てられたとも言われています。
(枕流亭・ポイント)
●枕流亭では貴人口から屈まずに出入りすることができます。

【三宝院-松月亭・簡単解説】
松月亭は四畳半で、東側に丸窓、南側に竹の縁・にじり口(躙り口)があります。松月亭は江戸時代末期に建てられました。松月亭は切妻造のこけら葺(こけらぶき)です。

【三宝院見どころ 備考(参考リンク)】
*参考・・・三宝院(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

関連記事

京都観光おすすめ

  1. 錦市場
  2. 竹林の道
  3. 嵐山
ページ上部へ戻る