三宝院の見どころ解説-修学旅行・観光の簡単まとめ

三宝院の国宝・重要文化財などの見どころ解説
三宝院の見どころを簡単にまとめて解説します。見どころには長谷川等伯一派の障壁画がある表書院(国宝)、快慶作の弥勒菩薩を祀る本堂(重要文化財)、豊臣秀吉が基本設計した庭園(特別名勝・特別史跡)などがあります。また唐門・豊国大明神・宝篋印塔なども見逃せません。
【長谷川等伯一派の障壁画がある表書院(国宝)の見どころ解説】
★表書院は修学旅行・観光で絶対に見る価値があります。表書院は寝殿造の様式を伝える桃山時代を代表する建物で、上段の間・中段の間・下段の間があり、西南隅に泉殿が増設されています。上段の間に柳、中段の間に山野、下段の間に孔雀(くじゃく)・蘇鉄(そてつ)などが描かれた障壁画が飾られています。上段の間・中段の間は長谷川等伯(はせがわとうはく)一派が描き、下段の間は石田幽汀(いしだゆうてい)が描きました。
★表書院の歴史は能の楽屋として奈良に建てられ、1598年(慶長3年)に関白・豊臣秀吉が醍醐の花見を行った際に奈良から移築されたと言われています。その後増改築が行われました。
★表書院の建築様式は寝殿造(しんでんづくり)で、屋根が入母屋造(いりもやづくり)の桟瓦葺(さんがわらぶき)です。泉殿は屋根が切妻造(きりづまづくり)の桟瓦葺です。下段の間は畳を揚げると能舞台になり、揚舞台(あげぶたい)の間とも言われています。上段の間・中段の間は下段の間よりも一段高く、能などを見下ろせます。
【桃山時代の気風を伝える唐門(国宝)の見どころ解説】
★唐門は表書院に次ぎ、修学旅行・観光で見る価値があります。唐門は大胆な意匠が桃山時代の気風を伝えています。唐門は勅使を迎える時にだけに扉が開けられる勅使門(ちょくしもん)です。
★唐門の歴史は1573年(天正元年)~1614年(慶長19年)に建立されました。唐門は2010年(平成22年)に解体修理され、以前のように門全体が黒漆(くろうるし)で塗られ、表裏にある菊と五七の桐の四つの紋に金箔が施されました。
★唐門の建築様式は三間一戸(さんげんいっこ)の平唐門(ひらからもん)で、屋根が檜皮葺(ひわだぶき)です。
★唐門は墨書などから他の場所に建立される予定だったが、何らかの理由によって三宝院に建立されたと推測されています。また北政所の寄進により、前田玄以を奉行として建立されたという伝承も残されています。
【快慶作の弥勒菩薩を祀る本堂(重要文化財)の見どころ解説】
★本堂は仏師・快慶(かいけい)作の本尊・弥勒菩薩(みろくぼさつ)を安置し、弥勒堂とも言われています。また本堂は本尊は向かって右側に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)、左側に醍醐寺開山である理源大師(りげんだいし)・聖宝(しょうぼう)も祀っています。なお本堂は裏に護摩壇があり、護摩堂とも言われています。
★本堂の歴史は1598年(慶長3年)に建立されました。
★本堂の建築様式は屋根が入母屋造の桟瓦葺です。
【槍山から移築された純浄観(重要文化財)の見どころ解説】
★純浄観には日本画家・浜田泰介(はまだたいすけ)が描いた桜・紅葉の襖絵が飾られています。
★純浄観の歴史は1598年(慶長3年)に関白・豊臣秀吉が行った醍醐の花見の際に標高約454メートルの醍醐山中腹である槍山(ひやま)に建てられ、その後三宝院に移されたと言われています。
★純浄観の建築様式は屋根が入母屋造の茅葺(かやぶき)です。
【醍醐棚がある奥宸殿(重要文化財)の見どころ解説】
★奥宸殿は見逃せません。奥宸殿は門跡(もんぜき)の常御殿(おつねごてん)で、「田」の字型に上座の間・武者隠の間・次の間などがあります。上座の間には床・棚(違棚(ちがいだな))・附書院などがあり、棚は醍醐棚(だいごだな)と言われています。奥宸殿には初期の狩野派の襖絵が飾られています。醍醐棚は修学院離宮の霞棚(かすみだな)・桂離宮の桂棚(かつらだな)とともに天下の三大名棚に数えられています。
★奥宸殿の歴史は1598年(慶長3年)に建立されたとも、江戸時代初期に建立されたとも言われています。
★奥宸殿の建築様式は屋根が入母屋造の桟瓦葺です。
【勅使之間・秋草の間・葵の間(重要文化財)の見どころ解説】
★勅使之間・秋草の間・葵の間には唐破風造(からはふづくり)の車寄(くるまよせ)があります。勅使之間には桃山時代に長谷川等伯(はせがわとうはく)一派が描いた竹林花鳥図(ちくりんかちょうず)の襖絵があります。秋草の間には秋の七草が点在する襖絵があります。葵の間には葵祭(あおいまつり)の行列が描かれた襖絵があります。
★勅使之間・秋草の間・葵の間の歴史は1598年(慶長3年)に建立されました。
★勅使之間・秋草の間・葵の間の建築様式は屋根が入母屋造の桟瓦葺です。
【白書院とも言われる庫裏(重要文化財)の見どころ解説】
★庫裏は3室に分かれ、白書院とも言われています。奥の間には床・違棚があり、黒漆塗りの床框(とこかまち)に秋草に虫の蒔絵(まきえ)が施されています。
★庫裏の歴史は1598年(慶長3年)に建立されました。
★庫裏の建築様式は屋根が入母屋造の桟瓦葺です。庫裏は桁行約21.7メートル・梁間約13.8メートルです。
【車寄が附随する玄関(重要文化財)の見どころ解説】
★玄関には車寄が附随しています。玄関前には樹高約13メートル・枝張り最大約15メートルの枝垂桜(しだれざくら)や紅梅・白梅などが植えられています。
★玄関の歴史は1598年(慶長3年)に建立されました。
★玄関の建築様式は屋根が切妻造の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。玄関は桁行約11.8メートル・梁間約16.9メートルです。車寄は屋根が唐破風造の檜皮葺です。車寄は桁行約4.8メートル・梁間約5.8メートルです。
【三宝院墓地に建立されている宝篋印塔(重要文化財)の見どころ解説】
★宝篋印塔は醍醐寺の南総門南側にある三宝院墓地に建立されています。
★宝篋印塔の歴史は寺伝によると醍醐寺65代座主・賢俊(けんしゅん)の菩提(ぼだい)を弔う為に建立されたとも言われています。
★宝篋印塔は壇上積み(だんじょうづみ)の上に更に二重の壇を積み、蓮座(れんざ)と請座(うけざ)を設けた上に建立されています。請座側面には走獅子(しし)と牡丹(ぼたん)の文様が彫られています。
【豊臣秀吉を祀る豊国大明神の見どころ解説】
★豊国大明神(とよくにだいみょうじん)は見逃せません。豊国大明神は庭園背後に祀られています。豊国大明神は関白・豊臣秀吉を祀っています。豊国大明神は三宝院の建物や庭園の整備、そして醍醐寺の五重塔の修復や金堂の再建などに尽力した豊臣秀吉の恩に報いる為に創建されました。
★豊国大明神の歴史は1600年(慶長5年)に醍醐寺座主・義演が東山の阿弥陀ヶ峰に祀られていた豊国社から勧請しました。
★豊国大明神の建築様式は流造(ながれづくり)で、屋根が銅板葺(どうばんぶき)です。
【豊臣秀吉が基本設計した庭園(特別名勝・特別史跡)の見どころ解説】
★庭園は修学旅行・観光で見る価値があります。庭園は伽藍南側に作庭された池泉回遊式庭園です。庭園は豊臣秀吉が醍醐の花見の際に自ら基本設計を行ったとされ、桃山時代の華やかさを今に伝えていると言われています。庭師・賢庭が作庭したと言われています。
★庭園の歴史は関白・豊臣秀吉が縄張りを行い、賢庭(けんてい)・与四郎・仙らが作庭したとも言われています。庭園は1598年(慶長3年)から作庭が始まり、同年8月に豊臣秀吉が亡くなると一時中断され、その後豊臣秀吉の正室・北政所(きたのまんどころ)の援助によって再開され、同年12月に大部分が完成したと言われています。翌1599年(慶長4年)から義演(ぎえん)が作庭を続け、義演死後の1624年(元和10年)まで続けられ、「天下一」とも賞賛されました。なお庭園は「義演准后日記(ぎえんじゅごうにっき)」に作庭の経過が細かく記されています。
【珍しい木が使われる茶室・枕流亭の見どころ解説】
★茶室・枕流亭には上段の間・中段の間・水屋の間があります。柱には平安時代に中国の亜熱帯地方から持ち込まれた棕櫚(しゅろ)や栗などの珍しい木が使われています。なお枕流亭では貴人口から屈まずに出入りすることができます。
★枕流亭の歴史は1598年(慶長3年)に藤戸石(ふじといし)とともに聚楽第(じゅらくてい)から移されて関白・豊臣秀吉好みとも、江戸時代中期に建てられたとも言われています。
【江戸時代末期に建てられた茶室・松月亭の見どころ解説】
★茶室・松月亭は四畳半で、東側に丸窓、南側に竹の縁・にじり口(躙り口)があります。
★松月亭の歴史は江戸時代(1603年~1868年)末期に建てられました。
★松月亭は切妻造のこけら葺(こけらぶき)です。
【三宝院の見どころ 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・三宝院(見どころ・アクセス・・・)ホームページ


















