醍醐寺真如三昧耶堂・醍醐寺見どころ

醍醐寺真如三昧耶堂

●醍醐寺真如三昧耶堂は1997年(平成9年)に真如苑(しんにょえん)の開祖・伊藤真乗(いとうしんじょう)が興した密教法流・真如三昧耶流(しんにょさんまやりゅう)を顕彰する為に建立されました。元々平安時代中期の949年(天暦3年)に第61代・朱雀天皇の御願によって法華三昧堂(ほっけさんまいどう)が建立されていたが、室町時代中期の1470年(文明2年)に焼失しました。
伊藤真乗は1906年(明治39年)に伊藤文二郎とよしえの次男として山梨県北巨摩郡秋田村(山梨県北杜市長坂町)に生まれました。曹洞宗禅寺の檀家総代だった父から禅と家伝の易学・甲陽流病筮鈔(びょうぜいしょう)学び、天理教信者だった母の影響で天理教に親しみました。1923年(大正12年)に東京中央電信局購買部に勤務し、1924年(大正13年)に正則英語学校に入学し、1925年(大正14年)に卒業しました。1927年(昭和2年)に徴兵令によって飛行第5連隊に入隊し、1928年(昭和3年)に除隊しました。1929年(昭和4年)に石川島飛行機製作所に入社し、1932年(昭和7年)に内田友司と結婚し、1936年(昭和11年)に妻とともに宗教専従の生活に入り、真言宗の流れをくむ宗教結社・立照閣を結成し、醍醐寺三宝院道場で出家得度しました。1938年(昭和13年)に醍醐寺の末寺・立川不動尊教会を設立し、1941年(昭和16年)に真言宗醍醐派管長の命より、東京都武蔵村山市の常宝院の特命住職になりました。戦後真言宗を離れ、1948年(昭和23年)にまこと教団を設立し、1951年(昭和26年)に真如苑と改称しました。1966年(昭和41年)に醍醐寺から大僧正位を受けました。同年に第8回世界仏教徒会議に日本代表として出席し、1967年(昭和42年)にローマ教皇パウロ6世と面会しました。なお1989年(平成元年)7月19日に亡くなりました。
第61代・朱雀天皇は平安時代中期の923年(延長元年)9月7日に第60代・醍醐天皇と中宮・藤原穏子(ふじわらのおんし)の第11皇子として生まれました。大宰府(だざいふ)に左遷され、大宰府で亡くなった菅原道真(すがわらのみちざね)の祟りを避ける為、3歳になるまで御殿の格子も上げず、昼夜灯を灯して御帳台(みちょうだい)の中で育てられたとも言われています。925年(延長3年)に3歳で皇太子になり、930年(延長8年)に8歳で第60代・醍醐天皇の危篤を受け、第61代・朱雀天皇に即位しました。治世中に935年(承平5年)の平将門(たいらのまさかど)の乱・936年(承平6年)の藤原純友(ふじわらのすみとも)の乱が起こったり、937年(承平7年)の富士山の噴火などの災害・変異が起こったりしました。第61代・朱雀天皇は病弱だったことから皇子女に恵まれず、944年(天慶7年)に同母弟・成明親王(第62代・村上天皇)を東宮(皇太弟)にし、946年(天慶9年)に24歳で譲位しました。第61代・朱雀天皇は母・藤原穏子の言に従って譲位したが、その後後悔したと言われています。952年(天暦6年)に出家して仁和寺に入りました。なお第61代・朱雀天皇は952年(天暦6年)9月6日に30歳で崩御しました。
醍醐寺見どころ

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