醍醐寺祖師堂・醍醐寺見どころ

醍醐寺祖師堂

●醍醐寺祖師堂は江戸時代前期の1605年(慶長10年)9月に義演准后(ぎえんじゅごう)が建立しました。醍醐寺祖師堂には真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)、その孫弟子で、醍醐寺開山である理源大師(りげんだいし)・聖宝(しょうぼう)を祀っています。醍醐寺祖師堂では毎年6月15日に弘法大師・空海の降誕会(ごうたんえ)が行われています。なお醍醐寺祖師堂は入母屋造(いりもやづくり)の桟瓦葺(さんがわらぶき)です。
義演僧正は戦国時代(室町時代後期)の1558年(永禄元年)10月1日に二条家第14代目当主・二条晴良(にじょうはるよし)と伏見宮貞敦親王(ふしみのみやさだあつしんのう)の王女・位子の間に生まれました。室町幕府15代将軍・足利義昭(あしかがよしあき)の猶子になり、「義」の一字を与えられました。1564年(永禄7年)に醍醐寺の塔頭・三宝院(さんぼういん)の門跡・義堯(ぎぎょう)の後継者とされたが、義堯の急逝によって先送りされ、1569年(永禄12年)に醍醐寺に入って深応・雅厳に師事し、1571年(元亀2年)に得度して大僧都(だいそうず)になりました。1575年(天正3年)に醍醐寺金剛輪院(こんごうりんいん)を再興し、1576年(天正4年)に醍醐寺第80代座主になりました。1579年(天正7年)に大僧正(だいそうじょう)になり、1585年(天正13年)に准三后宣下を受け、1594年(文禄3年)に東寺長者(とうじちょうじゃ)になりました。1592年(文禄元年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が朝鮮出兵を行う際に東寺で仁王経大法会を修し、1598年(慶長3年)の方広寺大仏開眼供養の際に呪願師を務めました。また豊臣秀吉の帰依を受けて三宝院を復興しました。豊臣秀吉没後に東寺の後七日御修法を再興し、真言宗の興隆に力を尽くしました。なお義演僧正は1626年(寛永3年)6月15日に亡くなりました。
弘法大師・空海は奈良時代の774年(宝亀5年)に讃岐国多度郡屏風浦(香川県善通寺市)で父・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)と母・阿刀大足(あとのおおたり)の妹の間に生まれました。ただ正確な誕生日は明確ではありません。真言宗(しんごんしゅう)では空海が唐の高僧で、三蔵法師(さんぞうほうし)の一人である不空三蔵(不空金剛・ふくうこんごう)の生まれ変わりと考えられていることから誕生日は不空三蔵の入滅の日である6月15日とされています。789年(延暦8年)に15歳で母方の叔父・阿刀大足(あとのおおたり)のもとで論語・孝経・史伝などを学び、792年(延暦11年)に18歳で官僚育成機関である大学寮(だいがくりょう)に入って官吏としての学問を修めました。その後仏道を志して山林で修行し、三論宗(さんろんしゅう)の僧で、東大寺(とうだいじ)別当・勤操(ごんそう)のもとで南都仏教を学びました。804年(延暦23年)に遣唐使として唐(中国)に渡り、長安で青竜寺(せいりゅうじ)の恵果(えか)のもとで密教を学び、伝法阿闍梨位(でんぽうあじゃりい)の灌頂(かんじょう)を受け、遍照金剛(へんじょうこんごう)の灌頂名を与えられました。806年(大同元年)に帰国し、真言密教を日本に伝えて真言宗の開祖になりました。816年(弘仁7年)から高野山で金剛峯寺(こんごうぶじ)創建に着手し、823年(弘仁14年)に東寺を賜って真言密教の道場にしました。なお弘法大師・空海は835年(承和2年)3月21日に高野山で亡くなりました。
理源大師・聖宝は平安時代前期の832年(天長9年)3月21日に讃岐国(香川県)で生まれました。847年(承和14年)16歳で奈良・東大寺(とうだいじ)に入り、真言宗の宗祖である弘法大師・空海の実弟で、東大寺別当・真雅(しんが)に師事して出家しました。その後奈良・元興寺(がんごうじ)の円宗(えんしゅう)・願暁(がんぎょう)から三論宗(さんろんしゅう)、東大寺の平仁(ひょうにん)から法相宗(ほっそうしゅう)、東大寺の玄永(げんえい)に華厳宗(けごんしゅう)を学びました。872年(貞観13年)に真雅から無量寿法(むりょうじゅほう)を受け、874年(貞観16年)に醍醐寺を創建しました。880年(元慶4年)に弘法大師・空海の甥で、金剛峯寺(こんごうぶじ)座主・真然(しんぜん)に学んで両部大法(りょうぶたいほう)を受け、884年(元慶8年)に東寺二長者・源仁(げんにん)に伝法灌頂(でんぽうかんじょう)を授けられました。887年(仁和3年)に朝廷から正式に伝法灌頂職位を授けられ、895年(寛平7年)に東寺二長者になり、896年(寛平8年)に東寺別当を兼ね、906年(延喜6年)に東寺一長者になりました。907年(延喜7年)に醍醐寺が第60代・醍醐天皇の御願寺になりました。理源大師・聖宝は修験道(しゅげんどう)の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)・役小角(えんのおづぬ)の故事を慕って、日ごろ山に登り、川を渡って山野で修業し、修験道の基礎を築いたことから「修験道の醍醐寺」とも言われています。なお理源大師・聖宝は909年(延喜9年)7月25日に亡くなりました。
醍醐寺見どころ

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