平野神社桜・平野神社見所(修学旅行・観光)

平野神社桜

●平野神社桜は約50種・約400本が植えられています。平野神社の桜苑は平安時代中期の985年(寛和元年)に第65代・花山天皇が桜をお手植えしたことが起源と言われています。平野神社は平安時代後期から桜の名所とされ、「平野の夜桜」と称されました。
平野神社には魁(さきがけ)・平野寝覚(ひらのねざめ)・胡蝶(こちょう)・嵐山(あらしやま)・虎の尾(とらのお)・平野妹背(ひらのいもせ)・御衣黄(ぎょいこう)・松月(しょうげつ)・手弱女(たおやめ)・平野突羽根(ひらのつくばね)・平野撫子(ひらのなでしこ)・円山公園枝垂れ桜原木・御車遷(みくるまがえし)・八重紅枝垂(やえべにしだれ)・枝垂桜(しだれさくら)・十月桜(じゅうがつさくら)・鬱金(うこん)・白雪(しらゆき)・有明(ありあけ)・上匂(じょうにおい)・太白(たいはく)・一葉(いちよう)・白妙(しろたえ)・高砂(たかさご)・普賢象(ふげんぞう)・関山(かんざん)・八重彼岸(やえひがん)・松前(まつまえ)・染井吉野(そめいよしの)・河津(かわず)・陽光(ようこう)・小彼岸桜(こひがん)・彼岸枝垂(ひがんしだれ)・白雲(しらくも)・御所桜(ごしょさくら)・朱雀(すじゃく)・桃桜(ももさくら)・瓢箪桜(ひょうたんさくら)・アーモンド・みどり桜・柴山(しばやま)・白雪(しらゆき)・大内山(おおうちやま)・衣笠(きぬがさ)・平野夕日(ひらのゆうひ)・雅(みやび)・山桜(やまさくら)・麒麟(きりん)・楊貴妃(ようきひ)・庭桜(にわさくら)・佐藤錦(さとうにしき)・手毬(てまり)・旭日(きょくじつ)・おけさ・早晩山(いつかやま)・千里香(せんりこう)・大手毬(おおてまり)・大島(おおしま)・旗桜(はたさくら)・松前(まつまえ)・須磨浦普賢(すまうらふげんぞう)など約50種・約400本が植えられています。
第65代・花山天皇は平安時代中期の968年(安和元年)11月29日に第63代・冷泉天皇と摂政太政大臣・藤原伊尹(ふじわらのこれただ)の長女で、女御・藤原懐子(ふじわらのかいし)の第1皇子として生まれました。969年(安和2年)に父・冷泉天皇の弟で、叔父・守平親王(第64代・円融天皇)とともに皇太子になりました。984年(永観2年)に第64代・円融天皇が譲位すると17歳で第65代・花山天皇になりました。その後関白・藤原頼忠(ふじわらのよりただ)、義父・藤原伊尹の五男・藤原義懐(ふじわらのよしちか)、皇太子・懐仁親王(第66代・一条天皇)の外祖父・藤原兼家(ふじわらのかねいえ)による三つ巴の勢力争いが起こったり、寵愛していた女御・藤原し子(ふじわらのしし)が急死したりしました。藤原兼家は孫・懐仁親王(第66代・一条天皇)を即位させる為、第65代・花山天皇に仕えていた次男・藤原道兼(ふじわらのみちかね)を通して出家を勧めたと言われています。986年(寛和2年)に19歳で宮中を出て剃髪し、花山寺(かさんじ・元慶寺(がんけいじ))に出家しました。出家後に播磨国・円教寺(えんぎょうじ)の性空(しょうくう)に結縁し、比叡山(ひえいざん)・熊野(くまの)などで仏道修行を行いました。また奈良時代初期に徳道(とくどう)が観音霊場三十三ヶ所の宝印を石棺に納めたという伝承があった摂津国・中山寺(なかやまでら)で宝印を探し出し、熊野から宝印の三十三の観音霊場を巡礼したとも言われています。花山天皇は歌人としても有名で、和歌に花山院御集があります。なお第65代・花山天皇は1008年(寛弘5年)3月17日に崩御しました。
平野神社見どころ

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