法界寺本堂・法界寺見どころ

法界寺本堂

●法界寺本堂は1909年(明治42年)4月5日に国の重要文化財に指定されました。
●法界寺本堂は室町時代中期の1456年(康正2年)に奈良斑鳩・龍田神社(たつたじんじゃ)の神宮寺・伝燈寺(でんとうじ)の本堂として建立され、1904年(明治37年)に法界寺に移されました。なお伝燈寺は明治維新後に廃寺になりました。
龍田神社(竜田神社)は起源が明確ではありません。龍田神社は第10代・崇神天皇の時代(紀元前97年~紀元前30年)に祀られたとも言われています。その後法隆寺(ほうりゅうじ・斑鳩寺(いかるがでら))の鎮守になったと言われています。第31代・用明天皇の皇子・聖徳太子(しょうとくたいし・厩戸皇子(うまやどのみこ))が法隆寺を創建する場所を探していた際、老人に化した龍田大明神が現れ、「斑鳩の郷は仏法が末永興隆する地として伽藍建立に適している」と告げられ、聖徳太子は法隆寺の守護を願って、龍田大明神を祀ったと言われています。龍田神社は当初龍田比古命(たつたひこのみこと)・龍田比女命(たつたひめのみこと)を祀り、龍田比古龍田比女神社とも言われていたそうです。龍田神社は「延喜式神名帳(927年(延長5年))」で小社に列せられました。明治維新後の神仏分離(廃仏毀釈)によって法隆寺から離れ、龍田大社(たつたたいしゃ)の摂社になったが、1922年(大正11年)に龍田大社から独立しました。なお龍田神社は天御柱命(あめのみはしらのみこと)・国御柱命(くにのみはしらのみこと)・龍田比古命・龍田比女命を祀っています。ちなみに天御柱命・国御柱命は龍田大社から勧請されたと言われています。
●法界寺本堂は須弥壇上の厨子に平安時代に造仏されたとも言われる薬師如来立像(重要文化財)が安置されています。薬師如来立像は京の七薬師に数えられています。また女性が祈願すると女性の乳の出がよくなるとされ、乳薬師とも言われています。
薬師如来(薬師瑠璃光如来・やくしるりこうにょらい)は如来の一尊です。薬師如来は大医王(だいいおう)・医王善逝 (いおうぜんぜい) とも言われています。薬師如来は菩薩時代に衆生の病気を治すなどの十二の大願(十二誓願)を立てて如来となった東方瑠璃光浄土ので説法する過去仏(教主)とされています。薬師如来は医王如来とも言われ、一般的に左手に病を癒す為の薬壷(やっこ)を持ち、右手に施無畏(せむい)の印を結んでいます。薬師如来は脇侍(きょうじ)が日光菩薩(にっこうぼさつ)・月光菩薩(がっこうぼさつ)とされ、眷属(けんぞく)である十二神将(じゅうにしんしょう)に守られています。薬師如来は現世利益を与えるとされ、飛鳥時代の680年(天武天皇9年)頃から盛んになったとも言われています。なお十二の大願は光明普照・随意成弁・施無尽仏・安心大乗・具戒清浄・諸根具足・除病安楽・転女得仏・安心正見・苦悩解脱・飲食安楽・美衣満足です。
●法界寺本堂は桁行五間・梁間四間で、寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式です。寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り、2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や正倉院(しょうそういん)・唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂が代表例です。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
法界寺見どころ

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