北野天満宮老松社・北野天満宮見どころ(修学旅行・観光)

北野天満宮老松社

●北野天満宮老松社は本殿(国宝)北側に祀られています。老松社は祭神・菅原道真の師で、道真の正室・島田宣来子(しまだののぶきこ)の父・島田忠臣(しまだのただおみ)を祀っています。
島田忠臣は平安時代前期の828年(天長5年)に父母が不明だが、伊賀守(いがのかみ)・島田清田(しまだのきよた)の孫として生まれたと言われています。菅原道真の父で、文章博士(もんじょうはかせ)・菅原是善(すがわらのこれよし)に師事し、849年(嘉祥2年)頃に官人候補者への試験である省試(しょうし)に合格して文章生(もんじょうしょう)になったと言われています。また菅原是善が島田忠臣を高く評価し、嫡男・菅原道真の教育係になり、「菅家文草(かんけぶんそう)・菅原道真編纂全12巻」に菅原道真が11歳の時に島田忠臣に漢詩を習って初めて漢詩を作ったことが記されています。その後従七位下(じゅしちいげ)・越前権少掾(えちぜんごんのしょうじょう)に叙任され、859年(天安3年)に越前国に渤海使(ぼっかいし)が漂着した際に接客使になり、仮に加賀権掾(かがごんのじょう)に任じられました。860年(貞観2年)頃に第56代・清和天皇、第57代・陽成天皇、第58代・光孝天皇、第59代・宇多天皇の四代にわたって朝廷の実権を握り、史上初の関白に就任した藤原基経(ふじわらのもとつね)の近習になり、藤原北家(ふじわらほっけ)との関係が深くなりました。藤原基経は島田忠臣の漢詩をこよなく愛し、漢詩500首を屏風を作らせて自宅に飾ったと言われています。その後少外記(しょうげき)・因幡権介(いなばごんのすけ)・大宰少弐(だざいのしょうに)・兵部少輔(ひょうぶしょう)・美濃介(みのすけ)・玄蕃頭(げんばのかみ)・典薬頭(てんやくのかみ)・伊勢介(いせすけ)などを歴任しました。島田忠臣は田達音(でんたつおん)と号し、白楽天(はくらくてん)風の漢詩に優れ、詩集「田氏家集」を記しました。紀長谷雄(きのはせお)は「当代之詩匠」と称賛しました。島田忠臣は892年(寛平4年)に亡くなりました。
●北野天満宮老松社は本殿が一間社(いっけんしゃ)流造(ながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
北野天満宮見どころ

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