北野天満宮白太夫社・北野天満宮見どころ(修学旅行・観光)

北野天満宮白太夫社

●北野天満宮白太夫社は本殿(国宝)北側に祀られています。白太夫社は祭神・菅原道真の父・菅原是善(すがわらのこれよし)が安産祈願を託し、道真が大宰府に左遷された際に守役として大宰府までお供した白太夫・度会春彦(わたらいはるひこ)を祀っています。白太夫社には子授け・安産のご利益があるとも言われています。
度会春彦は平安時代前期に伊勢神宮外宮(げくう)・豊受大神宮(とようけだいじんぐう)で供御(くご)を司る大内人(おおうちんど)を務めていた渡会高主(わたらいのたかぬし)の6男として生まれました。外従五位下(げじゅごいげ)に叙され、その後豊受大神宮の権禰宜(ごんねぎ)を長く務めました。度会春彦は若い頃から頭髪が真っ白だったことから白太夫と言われていました。菅原道真の父・菅原是善(すがわらのこれよし)は長男・次男が相次いで亡くなったことから配下の島田忠臣(しまだのただおみ)を通して、度会春彦に安産祈願をさせ、平安時代前期の845年(承和12年)に菅原道真が生まれました。喜んだ菅原是善は度会春彦を養育係として京都に招き、以来度々京都を訪れ、その後菅原道真に使えました。菅原道真は伊勢神宮への侵入者を取り締まる検非違使(けびいし)設置を上奏すると897年(寛平9年)に度会春彦が検非違使に任じられました。901年(延喜元年)に「第60代・醍醐天皇(だいごてんのう)を廃立して娘婿の斉世親王(ときよしんのう)を皇位に就けようと謀った」という左大臣(さだいじん)・藤原時平(ふじわらのときひら)の讒言(告げ口)により、菅原道真が太宰府(だぜいふ)に左遷された際、朝廷を憚ってお供する者がいなかったが、度会春彦は老齢ながら太宰府まで付き従いました。903年(延喜3年)に菅原道真が太宰府で亡くなると連座で土佐に配流されていた菅原道真の長男・菅原高視(すがわらのたかみ)のもとへ向かい、菅原道真が身に着けていた剣・鏡を届けたとも言われています。918年(延喜18年)6月に兄・度会冬雄の養子となって豊受大神宮の禰宜になり、934年(承平3年)11月に実子・度会晨晴に禰宜職を譲りました。なお度会春彦は平安時代中期の946年(天慶9年)2月11日に亡くなりました。
●北野天満宮白太夫社は本殿が一間社(いっけんしゃ)流造(ながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
北野天満宮見どころ

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