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萬福寺天王殿・萬福寺見所(修学旅行・観光)
萬福寺天王殿
●萬福寺天王殿は1913年(大正2年)4月14日に国の重要文化財に指定されました。
●萬福寺天王殿は江戸時代中期の1668年(寛文8年)に建立されました。天王殿は萬福寺の玄関として建立されています。天王殿は弥勒菩薩(みろくぼさつ)坐像を安置しています。萬福寺では布袋(ほてい)を弥勒菩薩の化身とし、布袋を弥勒仏としています。布袋は名を契此(けいし)と言い、南宋(中国)の高僧で、定応大師(じょうおうだいし)と号しました。
弥勒菩薩(布袋)坐像は1663年(寛文3年)に清(中国)の仏師・范道生(はんどうせい)が造仏しました。弥勒菩薩(布袋)坐像は像高約110.3センチの木造です。
布袋は名を契此(かいし・釈契此(しゃくかいし))と言う中国の明州奉化県(浙江省)出身の禅僧です。布袋の名は常に袋(頭陀袋(ずだぶくろ))を背負っていたことに由来しています。布袋はお腹が大きく膨れた体で、居所を定めず、杖(つえ)をついて市中で喜捨(きしゃ)を求め、食物など貰った物を日常生活の道具を入れていた袋の中に入れていたと言われています。また布袋は吉凶や天候などを占ったとも言われています。日本には鎌倉時代に禅画の題材として受容されるようになりました。また室町時代に奇僧として知られるようになり、その後布袋は毘沙門天(びしゃもんてん)・恵比寿(えびす)・大黒天(だいこくてん)・弁財天(べんざいてん)・寿老人(じゅろうじん)・福禄寿(ふくろくじゅ)とともに七福神(しちふくじん)に数えられるようになりました。ちなみに布袋は弥勒菩薩の垂迹(すいじゃく)とも言われています。なお布袋は後梁(中国)の916年(貞明2年)に亡くなったと言われています。
弥勒菩薩は菩提(悟り)を求める菩薩の一尊です。弥勒菩薩は兜率天(とそつてん)の内院に住み、現在仏である釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)の次に悟りの最高の位である仏陀(ぶつだ)になることが約束され、釈迦(しゃか)入滅から56億7,000万年(5億7,600万年)後の未来に仏陀となってこの世に下り、衆生を救済すると言われる菩薩です。天界での修行中を弥勒菩薩、未来仏は弥勒如来(弥勒仏)とも称します。弥勒菩薩は飛鳥時代に日本に伝わり、平安時代に弥勒浄土信仰(上生信仰(じょうしょうしんこう)・下生信仰(げしょう))が盛んになり、日本古来の山岳信仰と仏教が融合した修験道(しゅげんどう)にも取り入れられました。なお「観弥勒菩薩上生兜率天経」・「弥勒下生経」・「弥勒大成仏経」は「弥勒三部経」と言われています。
●萬福寺天王殿は桁行五間・梁間三間で、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
萬福寺見どころ