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向日神社本殿・向日神社見所(修学旅行・観光)
向日神社本殿
●向日神社本殿は1902年(明治35年)7月31日に国の重要文化財に指定されました。
●向日神社本殿は室町時代中期の1418年(応永25年)または1422年(応永29年)に建立されたと言われています。本殿は向日神(むかひのかみ・御歳神(みとしのかみ))・火雷神(ほのいかづちのかみ・火雷大神(ほのいかづちのおおかみ))・玉依姫命(たまよりひめのみこと)・神武天皇(じんむてんのう)を祀っています。なお明治神宮の本殿は向日神社の本殿を1.5倍のスケールで設計したと言われています。
明治神宮は江戸時代初期に肥後藩藩主・加藤家の別邸があり、1640年(寛永17年)に譜代大名筆頭である彦根藩藩主・井伊家の下屋敷になり、1874年(明治7年)に明治政府が井伊家から買い上げ、宮内省が所轄する南豊島御料地(みなみとしまごりょうち)になった場所でした。明治神宮は1920年(大正9年)11月1日に創建されました。1912年(明治45年)7月30日に第122代・明治天皇(めいじてんおう)が崩御し、京都・伏見桃山陵(ふしみのももやまのみささぎ)に葬られ、1914年(大正3年)4月11日に第122代・明治天皇の皇后である昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)も崩御し、京都・伏見桃山東陵(ふしみももやまのひがしのみささぎ)に葬られました。その後第122代・明治天皇と昭憲皇太后の神霊を祀りたいという国民の熱誠により、1915年(大正4年)5月1日に第123代・大正天皇(たいしょうてんのう)の裁可を受け、官幣大社(かんぺいたいしゃ)・明治神宮を創建することが内務省告示で発表されました。1920年(大正9年)11月1日に鎮座祭が行われ、翌2日に第123代・大正天皇の名代として、第124代・昭和天皇(しょうわてんのう)となる皇太子・裕仁親王(ひろひとしんのう)が行啓しました。その後1945年(昭和20年)4月14日に太平洋戦争による空襲で本殿などが焼失し、1958年(昭和33年)11月に国内外からの浄財によって現在の社殿が再建されました。なお社殿はいずれも東京帝国大学工科大学教授である伊東忠太と関野貞が調査・選定を行って、伊東忠太の監督のもとで安藤時蔵と大江新太郎が設計しました。
●向日神社本殿は三間社(さんげんしゃ)流造(ながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。本殿は室町時代の流造を代表する社殿とも言われています。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
向日神社