妙心寺開山堂・妙心寺見どころ

妙心寺開山堂

●妙心寺開山堂は1901年(明治34年)3月27日に国の重要文化財に指定されました。
●妙心寺開山堂は室町時代中期(1393年~1466年)に臨済宗(りんざいしゅう)東福寺派の大本山・東福寺(とうふくじ)に建立され、室町時代後期(戦国時代)の1537年(天文6年)に東福寺から移されたと言われています。妙心寺開山堂は妙心寺山内最古の建物と言われています。妙心寺開山堂には関山慧玄(かんざんえげん)・無相大師(むそうたいし)の木造が安置されています。
関山慧玄・無相大師は鎌倉時代後期の1277年(建治3年)に高梨家8代目当主・高梨高家の次男として信濃(長野県)に生まれたと言われています。初め叔父・月谷宗忠につき、その後鎌倉建長寺(けんちょうじ)広厳庵(こうごんあん)の東伝士啓(とうでんしけい)のもとで出家しました。1307年(嘉元4年)に鎌倉建長寺に入り、月谷宗忠の師・南浦紹明(なんぽしょうみょう)から法名・慧眼を授かりました。南浦紹明没後に物外可什(もつがいかじゅう)などに参禅し、その後帰郷しました。1327年(嘉暦2年)に建長寺開山大覚禅師(蘭渓道隆)五十年忌出席の為に建長寺に行き、京都大徳寺(だいとくじ)の大燈国師(だいとうこくし)・宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)を紹介され、大燈国師・宗峰妙超を師事しました。その後美濃伊深に草庵を結んで隠棲したが、1337年(建武4年)に大燈国師・宗峰妙超に亡くなり、大燈国師・宗峰妙超の推挙によって妙心寺開山になりました。関山慧玄・無相大師は権力に接近することを嫌い、修業第一に徹して清素な生活の中で峻厳枯淡の禅を追求しました。なお関山慧玄・無相大師は南北朝時代の1361年(正平15年・延文5年)1月19日に亡くなりました。
一般的に開山堂は寺院の開山の像を安置する建物です。開山は寺院に最初に住した僧侶のことを指します。開山堂は祖師堂(そしどう)・御影堂(みえいどう・ごえいどう)・影堂(えいどう)などとも言われています。
玉鳳院は鎌倉時代後期に花園上皇(第95代・花園天皇)の花園御所(離宮・萩原殿(はぎわらどの))があった場所です。南北朝時代の1337年(建武4年)に花園上皇が落飾して花園法皇になり、臨済宗の僧である大燈国師(だいとうこくし)・宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)の高弟・関山慧玄(かんざんえげん)を開山として妙心寺が創建され、1342年(興国3年)に花園法皇の起居する禅宮御殿として玉鳳院が造営され、花園法皇の崩御後に塔所になりました。なお玉鳳院は花園法皇の木像を安置しています。
東福寺は平安時代中期の924年(延長2年)に公卿・藤原忠平(ふじわらのただひら)が創建した藤原氏の氏寺・法性寺(ほっしょうじ)があった場所です。東福寺は鎌倉時代中期の1236年(嘉禎2年)に摂政・九条道家(くじょうみちいえ)が高さ5丈(約15メートル)の釈迦像(しゃかぞう)を安置する寺院を創建することを発願し、臨済宗の僧である聖一国師(しょういちこくし)・円爾(えんに)を開山として仏殿を建立したのが起源です。仏殿の建立には1236年(嘉禎2年)から1255年(建長7年)までの約19年も掛かり、天台宗・真言宗・禅宗の三宗兼学の堂塔も建立されました。東福寺の名称は奈良における最大の寺院である華厳宗(けごんしゅう)大本山・東大寺(とうだいじ)と奈良で最も盛大を極めた法相宗(ほっそうしゅう)大本山・興福寺(こうふくじ)から1字ずつ取り、東福寺となりました。
妙心寺見どころ

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