龍安寺蔵六庵・龍安寺見どころ(修学旅行)

龍安寺蔵六庵

●龍安寺蔵六庵は1929年(昭和4年)に焼失し、その後再建されました。龍安寺蔵六庵はかつて愚渓菴(ぐけいあん)の住持・桂芳全久(けいほうぜんきゅう)の居室だったが、茶人・千宗旦(せんのそうたん)の門人・僖首座(きしゅそ)が茶室に改めたとも言われています。また龍安寺蔵六庵はかつて西源院にあったが、明治時代中期頃と1996年’(平成8年)に2回移されたとも言われています。
僖首座は江戸時代前期の1616年(元和2年)に生まれました。その後龍安寺の塔頭(たっちゅう)・大珠院(だいしゅいん)の住職になりました。ちなみに大珠院は戦国時代(室町時代後期)の1493年(明応2年)に妙心寺22世・興宗宗松(こうじゅうそうしょう)が創建しました。大珠院は当初大珠寺(だいしゅじ)と称しました。その後龍安寺の境内に移り、石川重正(いしかわしげまさ)が父・石川貞清(いしかわさだきよ・雲岳宗林)の菩提の為に再興しました。僖首座は千利休(せんのりきゅう)の孫で、三千家の祖である茶人・千宗旦(せんのそうたん)の門人になり、茶杓(ちゃしゃく)の製作で知られました。茶杓には老人星などがあります。僖首座は1696年(元禄9年)1月9日に亡くなりました。
西源院は室町時代に守護大名で、室町幕府管領・細川勝元(ほそかわかつもと)が藤原氏北家閑院流(かんいんりゅう)の徳大寺家(とくだいじけ)から寺地を得て、清源庵(せいげんあん)を建立したのが起源とも言われています。また1489年(延徳元年)に細川勝元の子で、室町幕府管領・細川政元(ほそかわまさもと)が大徳寺46世住持・妙心寺10世住持であった特芳禅傑(とくほうぜんけつ)を請じて建立したのが起源とも言われています。江戸時代初期の1606年(慶長11年)に織田信長(おだのぶなが)の弟・織田信包(おだのぶかね)が方丈を建立したが、その後龍安寺に移築されました。1888年(明治21年)に龍安寺の塔頭・東皐院(とうこういん)を併寺しました。
●龍安寺蔵六庵の名称は「蔵六」が頭・尾・2本の手・2本の足、計6つを甲羅に隠す亀を表すそうです。また仏教的には「蔵六」は「六根を清浄におさめる(六根清浄(ろっこんしょうじょう))」という意味になるそうです。
六根清浄は人間に備わった六根から生じる迷いを断ち、修行・浄行などの功徳(くどく)によって、六根を清らかにすることです。六根は五感(視覚(眼根)・聴覚(耳根)・嗅覚(鼻根)・味覚(舌根)・触覚(身根))と第六感とも言える意識(意根)です。「法華経(ほけきょう)」では経典の受持(じゅじ)・読誦(どくじゅ)・書写(しょしゃ)などの行により、六根が功徳によって清浄となると説かれています。
龍安寺見どころ

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