東寺灌頂院・東寺見どころ(修学旅行)

東寺灌頂院

●東寺灌頂院は1940年(昭和15年)10月14日に国の重要文化財に指定されました。
●東寺灌頂院は安土桃山時代の1585年(天正13年)に伏見大地震によって損壊し、江戸時代前期の1629年(寛永6年)に江戸幕府第3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が改築しました。東寺灌頂院はかつて平安時代前期の843年(承和10年)頃に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)の十大弟子の一人である実恵(じちえ)が弘法大師・空海が修業した唐(中国)・青龍寺(せいりゅうじ)に倣って建立しました。
徳川家光は江戸時代初期の1604年(慶長9年)8月12日に江戸幕府2代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)と浅井長政(あざいながまさ)の娘・江(ごう・崇源院(すうげんいん))の次男として江戸城西の丸に生まれました。徳川家光の幼名は江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)と同じ竹千代、乳母は春日局(かすがのつぼね)です。徳川家光は病弱で、吃音(きつおん)があり、1606年(慶長11年)に徳川秀忠と江に寵愛される弟・徳川忠長(とくがわただなが)が生まれると世継ぎ争いが起こり、元和年間(1615年~1624年)に春日局による徳川家康への直訴によって徳川家光が世継ぎに決着しました。1620年(元和6年)に元服し、名前を徳川家光に改め、従三位権大納言に任命されました。1623年(元和9年)7月27日に徳川秀忠とともに上洛して伏見城で将軍宣下を受け、江戸幕府3代将軍になり、正二位内大臣に任命されました。徳川家光は武家諸法度(ぶけしょはっと)・参勤交代制(さんきんこうたいせい)などの諸制度を整備したり、キリシタン禁制や貿易統制の為に鎖国を行ったりし、江戸幕府の基礎を確立しました。なお徳川家光は多くの神社仏閣に寄進したり、再建などに尽力したりしています。
実恵は奈良時代後期の786年(延暦5年)に讃岐国(香川県)に生まれました。延暦年間(782年~806年)に奈良・東大寺(とうだいじ)の泰基に法相宗(ほっそうしゅう)を学びました。804年(延暦23年)または807年(大同2年)に受戒し、810年(弘仁元年)に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)から灌頂(かんじょう)を受けたとも言われています。812年(弘仁3年)にいずれも十大弟子である杲隣(ごうりん)・智泉(ちせん)とともに神護寺(じんごじ・高雄山寺)三綱(さんごう)に任じられ、816年(弘仁7年)から十大弟子である泰範(たいはん)とともに高野山開創に尽力し、827年(天長4年)に高野山真言宗の遺跡本山・観心寺(かんしんじ)を創建しました。836年(承和3年)に僧位・権律師(ごんりっし)に任ぜられ、真言宗の最高位である初代・東寺長者(とうじちょうじゃ)になりました。840年(承和7年)に少僧都(しょうそうず)に任ぜられ、843年(承和10年)に灌頂院を創設しました。なお実恵は847年(承和14年)12月24日に河内国で亡くなり、1774年(安永3年)に諡号・道興大師を賜りました。
●東寺灌頂院では伝法灌頂(でんぼうかんじょう)が行われました。伝法灌頂は阿闍梨(あじゃり)という指導者の位を授ける儀式です。
灌頂は密教で頭頂に智水を注ぎ、戒律や資格を授け、仏の位を継承させる儀式です。灌頂はインドで国王の即位・立太子の際にその頭に大海の水を注いだ儀式に由来しています。その後仏教に取入れられ、菩薩が最上の境地に入る際にその頭に智水を諸仏が注ぎ、最上の位に達したことを認める儀式になりました。日本では805年(延暦24年)に天台宗の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)が高雄寺 (たかおでら・神護寺) で行ったのが最初と言われています。
東寺見どころ

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