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宇治上神社春日神社・宇治上神社見所(修学旅行・観光)
宇治上神社春日神社
●宇治上神社春日神社は1912年(明治45年)2月8日に国の重要文化財に指定されました。
●宇治上神社春日神社は鎌倉時代後期(1275年~1332年)に建立とされと言われています。春日神社は宇治上神社の摂社で、建甕槌命(たけみかづちのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祀っています。なお宇治上神社春日神社は藤原頼通(ふじわらのよりみち)が創建した平等院の鎮守社となったことから藤原氏の氏神である奈良・春日大社から勧請したとも言われています。
平等院は平安時代前期の859年(貞観元年)に第52代・嵯峨天皇の皇子である左大臣・源融(みなもとのとおる)が造営した別荘があった場所です。その後別荘は第59代・宇多天皇、宇多天皇の孫、源重信(みなもとのしげのぶ)を経て、関白・藤原道長(ふじわらのみちなが)が源重信の婦人から譲り受けました。平等院は1052年(永承7年)に藤原道長の子である関白・藤原頼通が別荘・宇治殿の寝殿を本堂に改め、藤原氏の氏寺として創建しました。その後1053年(天喜元年)に西方極楽浄土を出現させたような鳳凰堂(阿弥陀堂)が建立され、定朝作の阿弥陀如来坐像が安置されました。
春日大社は社伝によると約1,300年前に常陸国・鹿島神宮の武甕槌命(たけみかづちのみこと)を御蓋山(みかさやま)の山頂・浮雲峰(うきぐものみね)に勧請したのが起源と言われています。768年(神護景雲2年)に左大臣・藤原永手(ふじわらのながて)が第48代・称徳天皇の勅命により、現在の場所に社殿を造営して、下総国・香取神宮の経津主命(ふつぬしのおおみこと)や河内国・枚岡神社(ひらおかじんじゃ)の天児屋根命(あめのこやねのみこと)と比売神(ひめがみ)を勧請したと言われています。その後平安時代に藤原氏が隆盛すると官祭が行われるようになりました。
●宇治上神社春日神社は宇治上神社春日神社は一間社流造(いっけんしゃながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。宇治上神社見どころ