宇治上神社桐原水・宇治上神社見どころ(修学旅行)

宇治上神社桐原水

●宇治上神社桐原水は境内から湧き出る湧水です。宇治上神社桐原水は阿弥陀水(あみだすい(平等院鳳凰堂南崖))・法華水(ほっけすい(平等院の塔頭・浄土院))・公文水(くもんすい(橋姫神社))・泉殿(いずみどの(JR宇治駅北))・高浄水(こうじょうすい(泉殿付近))・百夜月井(ももよづきい(宇治町四番保))とともに宇治七名水に数えられ、唯一現存している湧水です。室町時代に宇治茶の宇治七名園が作られ、お茶に不可欠な水にも宇治七名水が定められたとも言われています。
平等院は元々平安時代前期の859年(貞観元年)に第52代・嵯峨天皇の皇子である左大臣・源融(みなもとのとおる)が造営した別荘があった場所です。平等院は平安時代後期の1052年(永承7年)に太政大臣・藤原道長(ふじわらのみちなが)の子で、太政大臣・藤原頼通(ふじわらのよりみち)が別荘・宇治殿の寝殿を本堂に改め、藤原氏の氏寺として創建しました。鳳凰堂は1053年(天喜元年)に平等院開基・藤原頼通が建立し、定朝(じょうちょう)作の阿弥陀如来坐像を安置しました。鳳凰堂は東方に面して建立され、阿字池(あじいけ)を隔てた西方に極楽浄土(ごくらくじょうど)があることを示しています。
浄土院は戦国時代(室町時代後期)の明応年間(1492年~1501年)に内大臣・三条西実隆(さんじょうにしさねたか)の息子とも言われる浄土宗の僧・栄久上人(えいくしょうにん)が平等院の修復の為に山内に創建したと言われています。その後江戸時代初期の1601年(慶長6年)に養林庵書院(重要文化財)が関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が築城した伏見城から移され、江戸時代前期の1640年(寛永17年)に羅漢堂(宇治市指定文化財)が建立されました。1681年(天和元年)の寺社奉行の裁定以降、最勝院(さいしょういん)とともに平等院を毎年交代で共同管理しています。
橋姫神社は起源が明確ではありません。橋姫神社はかつて淀川水系の一級河川・宇治川(うじがわ・淀川)の上流・櫻谷(桜谷)に祀られていたとも言われています。その後646年(大化2年)に奈良・元興寺(がんごうじ)の僧・道登(どうとう)が宇治川に宇治橋を初めて架けた際、宇治橋の守り神として櫻谷から宇治橋上流側に張り出すように設けられた宇治橋の三ノ間(三の間)に移されて祀られました。その後宇治橋の西詰に移され、住吉明神も移されたが、1870年(明治3年)の洪水によって流出し、1906年(明治39年)に現在の場所に移されました。
宇治茶は鎌倉時代から生産が始まり、室町時代に足利将軍家や室町幕府の有力武将が茶園を設けたことから栄えました。その後江戸時代に江戸幕府に宇治茶を献上するお茶壷道中が行われていました。なお宇治茶は静岡茶(しずおかちゃ)とともに日本二大茶、狭山茶(さやまちゃ)を加えて日本三大茶と言われています。
宇治上神社見どころ

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