八坂神社能舞台・八坂神社見どころ

八坂神社能舞台

●八坂神社能舞台は1893年(明治26年)~1898年(明治31年)に南楼門東側に建立されました。能舞台では能や伝統芸能などが奉納されます。1月3日の初能奉納では各年交代で、金剛流(こんごうりゅう)・観世流(かんぜりゅう)の家元による能・翁(おきな)と仕舞(しまい)が能舞台で奉納されます。また祇園祭では伝統芸能奉納・石見神楽・狂言奉納が行われたりします。
能は奈良時代に大陸から伝わった曲技(きょくぎ)・物真似(ものまね)・軽業(かるわざ)など中心とした散楽(さんがく)が起源とも言われています。「続日本紀(しょくにほんぎ)・平安時代初期編纂」には奈良時代の735年(天平7年)に第45代・聖武天皇が唐人による唐(中国)・新羅(朝鮮半島南東部)の音楽の演奏と弄槍(ほこゆけ)の軽業芸を見たことが記されています。平安時代に猿楽(さるがく)と言われ、鎌倉時代に猿楽の能と言われるようになり、能の古い形式である翁(おきな)を上演する座が結成されました。南北朝時代に大和猿楽(やまとさるがく)・近江猿楽(おおみさるがく)が大きな存在になり、奈良・興福寺(こうふくじ)に属した円満井座(えんまいざ)・坂戸座(さかとざ)・外山座(とびざ)・結崎座(ゆうざきざ)の大和猿楽四座が金春流(こんぱるりゅう)・金剛流(こんごう)・宝生流(ほうしょう)・観世流(かんぜ)の基になりました。室町時代に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)の庇護により、結崎座の父・観阿弥(かんあみ)と子・世阿弥(ぜあみ)の親子が能を大成させました。江戸時代中期に様式がほぼ完成したと言われています。能は演じる立方(たちかた)・声楽を謡う地謡方(じうたいかた)・器楽を奏でる囃子方(はやしかた)などで構成されています。なお能は明治維新前までは猿楽と言われていたが、明治維新後は狂言とともに能楽と言われるようになりました。
金剛流は奈良・法隆寺(ほうりゅうじ)に仕えた猿楽座・坂戸座(さかとざ)を起源とし、坂戸孫太郎氏勝(さかとまごたろううじかつ)が流祖です。金剛流6世・善岳正明(ぜんがくまさあき)以後、金剛と称するようになりました。なお金剛流は京都風の華麗な芸風から舞金剛、面などの名品を多く所蔵することから面金剛とも言われています。
観世流は大和猿楽・結崎座(ゆうざきざ)を起源とし、観阿弥清次(かんあみきよつぐ)が流祖です。観世流の名称は流祖・観阿弥の幼名・観世丸に由来しています。なお観世流は江戸時代に四座一流の筆頭とされ、現在もシテ方の五流(観世流・金剛流・宝生流(ほうしょうりゅう)・金春流(こんぱるりゅう)・喜多流(きたりゅう))の最大流派です。
●八坂神社能舞台は入母屋造(いりもやづくり)の桟瓦葺(さんがわらぶき)です。八坂神社能舞台は正面・側面の三方が壁のない吹き抜けで、背面に松が描かれています。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
桟瓦葺は平瓦と丸瓦を一体化させた波型の桟瓦を使用して屋根を葺く方法です。ちなみに本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
八坂神社見どころ

ページ上部へ戻る