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八坂神社大年社・八坂神社見所(修学旅行・観光)
八坂神社大年社
●八坂神社大年社本殿は2020年(令和2年)12月23日に国の重要文化財に指定されました。
●八坂神社大年社は本殿西側に祀られている境内末社です。大年社は江戸時代前期の1654年(承応3年)頃に建立されました。大年社は八坂神社の祭神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子神で、祇園古宮(ぎおんこみや)とも言われる穀物守護の神・一帯の農耕の神である大年神(おおとしのかみ)と巷社神(ちまたやしろのかみ)を祀っています。大年社では例年節分の日に大年社祭が行われることから節分の神とも言われています。
大年神は素戔嗚尊の8人の子供・八柱御子神(やはしらのみこがみ)として、八坂神社本殿の西御座に祀られています。八柱御子神は大年神と八島篠見神(やしまじぬみのかみ)・五十猛神(いたけるのかみ)・大屋比売神(おおやひめのかみ)・抓津比売神(つまつひめのかみ)・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)・大屋毘古神(おおやびこのかみ)・須勢理毘売命(すせりびめのみこと)の総称です。大年神は日本最古の歴史書「古事記(こじき)・712年(和銅5年)編纂」によると須佐之男命(素戔嗚尊)と大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘・神大市比売(かむおおいちひめ)の第1子として生まれ、穀物の守護神(穀物神・穀神)とされています。ちなみにその第2子は同じ穀物の守護神である宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)とされ、伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)などに祀られています。大年神の「とし」は元々穀物などの実りを意味していたが、実りには1年を要するところから年神(歳神)・年徳神(歳徳神)としても信仰されるようになりました。大年神は香用比売(かぐよひめ)との間の子神・御年神(みとしのかみ)が生まれ、孫神に若年神(わかとしのかみ)も生まれたとされています。
節分は元々は季節が変わる節目で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を差していたが、江戸時代以降は立春の前日だけを指す場合が多くなりました。節分には邪気悪霊(鬼)が外から入ってくるのを防ぐ為、「鬼は外・福は内」と言いながら福豆を撒き、年の数だけ福豆を食べて厄除けをします。
本殿は1646年(正保3年)に焼失し、1654年(承応3年)に江戸幕府第4代将軍・徳川家綱が再建しました。本殿は御所・紫宸殿を模し、本殿と拝殿がひとつになった独特の祇園造・八坂造です。本殿は桁行7間・梁間6間で、高さ約15メートルです。日本最大級の神社神殿とも言われています。
●八坂神社大年社は一間社流造(ながれづくり)の銅板葺(どうばんぶき)です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。
銅板葺は銅を薄くした銅板で屋根を葺く方法です。銅板葺は近世に本格的に始まり、神社・霊廟などに多く用いられています。銅板葺は瓦葺に比べると自重が軽くて耐震性があり、檜皮葺・こけら葺に比べると耐久性があるとい言われています。
【八坂神社 備考】
*参考・・・京都・八坂神社(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
●八坂神社の歴史(創建から現在)を紹介しています。
八坂神社歴史(伊利之使主・円如)
●八坂神社の見どころ(本殿・西楼門など)を紹介しています。
八坂神社見どころ(本殿・西楼門など)