八坂神社石鳥居・八坂神社見どころ(修学旅行)

八坂神社石鳥居

●八坂神社石鳥居は1913年(大正2年)4月14日に国の重要文化財に指定されました。
●八坂神社石鳥居は江戸時代前期の1646年(正保3年)に建立されたが、1662年(寛文2年)の寛文近江・若狭地震(かんぶんおうみ・わかさじしん)によって倒壊し、1666年(寛文6年)に補修されました。なお八坂神社石鳥居が建立されている南楼門は八坂神社の正門です。
八坂神社では石鳥居が建立された1646年(正保3年)に本殿が焼失したと言われています。寛文近江・若狭地震(M7.5程度・最大震度7程度)は1662年(寛文2年)6月16日10:00~12:00頃に2つの地震が連続して発生したとも言われ、滋賀(近江国)・福井(若狭国)に甚大な被害を与えるだけでなく、京都盆地北部にも大きな被害を与え、寛文京都地震とも言われています。「元延実録(げんえんじつろく)」には京都市右京区の愛宕神社(あたごじんじゃ)・京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)が大きく破損、知恩院(ちおんいん)・祇園も大方破損したことが記されています。「厳有院実紀(げんゆういんじっき)」には京都市中京区の二条城(にじょうじょう)の各所が破損したが、京都市上京区の禁裡院(きんりいん・御所)は無事であることが記されています。
一般的に鳥居は神社などの神域と人間が住む俗界を区画する結界で、神域への入口を示しています。鳥居には木材(檜・杉など)で造られた木鳥居、石で造られた石鳥居、銅板で全体を葺いた銅鳥居・金鳥居(かなどりい)などがあります。また鳥居にはその形式により、明神鳥居(みょうじんとりい)・神明鳥居(しんめいとりい)・両部鳥居(りょうぶとりい)・春日鳥居(かすがどりい)・住吉鳥居(すみよしどりい)・鹿島鳥居(かしまどりい)・三輪鳥居(みわとりい)などがあります。
●八坂神社石鳥居は花崗岩(かこうがん)製の明神鳥居です。八坂神社石鳥居には有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)による扁額「八坂神社」が掛けられています。
明神鳥居は柱が基礎である亀腹(かめばら)の上に立てられて内側に傾き、一番上部の横材である笠木(かさぎ)・笠木の下にある島木(しまぎ)の両端が上に反り、貫(ぬき)・額束(がくづか)と楔(くさび)などがあります。
有栖川宮熾仁親王は1835年(天保6年)3月17日に有栖川宮幟仁親王(ありすがわのみやたかひとしんのう)の第1王子として生まれ、1848年(嘉永元年)に第120代・仁孝天皇の猶子になり、1849年(嘉永2年)3月10日に親王宣下を受け、4月7日に元服して大宰帥(だざいのそち)に任命されました。1851年(嘉永4年)に第121代・孝明天皇の妹・和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)と婚約したが、1860年(安政7年)に大老・井伊直弼(いいなおすけ)や関白・九条尚忠(くじょうひさただ)らの公武合体策により、和宮親子内親王は江戸幕府第14代将軍・徳川家茂(とくがわいえもち)と結婚させることになりました。王政復古(おうせいふっこ)後に新政府の総裁になり、戊辰戦争(ぼしんせんそう)では東征大総督(とうせいだいそうとく)に任命されました。
八坂神社見どころ

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