平等院阿弥陀如来坐像・平等院見どころ(修学旅行)

●平等院阿弥陀如来坐像は国宝に指定されています。
●平等院阿弥陀如来坐像は平安時代後期の1053年(天喜元年)に造仏されました。阿弥陀如来坐像は寄木造技法の完成者とされる仏師・定朝(じょうちょう)作と唯一確証がある仏像です。阿弥陀如来坐像は円満な面相で、浅く流れる衣文など優美で温和な像容が「仏の本様」と称され、定朝様(じょうちょうよう)とも言われました。阿弥陀如来坐像は像高約277.2センチの木造で、寄木造漆箔です。なお像内納入品である木板梵字阿弥陀大小呪月輪(もくはんぼんじあみだだいしょうじゅがちりん)と木造蓮台は国宝の附(つけたり)に指定されています。
阿弥陀如来は大乗仏教の如来のひとつで、西方の極楽浄土(ごくらくじょうど)の教主とされています。阿弥陀如来は弥陀仏(阿弥陀佛)・無量光仏(むりょうこうぶつ)・無量寿仏(むりょうじゅぶつ)とも言われています。阿弥陀如来は生あるものを全てを救う如来とされています。阿弥陀如来は紀元100年頃に編纂された大乗仏教の経典「無量寿経(むりょうじゅきょう)」によると世自在王仏(せじざいおうぶつ)のもとで出家して修行していた時、法蔵比丘(ほうぞうびく)という菩薩(法蔵菩薩( ほうぞうぼさつ))であったが、48の誓願(四十八願 (しじゅうはちがん))を立てて修行して仏になり、仏国土である極楽浄土(ごくらくじょうど)を設立して現在もそこで説法しているとされています。阿弥陀如来は飛鳥時代(7世紀前半)に日本に伝わり、平安時代中期以降に隆盛して阿弥陀如来像が造仏され、鎌倉時代に念仏によって極楽浄土に往生できるという阿弥陀信仰が盛んになり、法然上人(ほうねんしょうにん)を宗祖とする浄土宗(じょうどしゅう)・親鸞聖人(しんらんしょうにん)を宗祖とする浄土真宗(じょうどしんしゅう)・一遍上人(いっぺんしょうにん)を宗祖とするを時宗が成立しました。
定朝は平安時代中期に仏師職の祖と称される仏師・康尚(こうしょう)の子として生まれたと言われています。1020年(寛仁4年)から父・康尚とともに太政大臣・藤原道長(ふじわらのみちなが)が創建した法成寺(ほうじょうじ・無量寿院(むりょうじゅいん))に9体の丈六阿弥陀像などを造仏し、1022年(治安2年)にその功績によって仏師として初めて僧侶に対し与えられる法橋(ほっきょう)に叙されました。1026年(万寿3年)に藤原道長の娘で、第68代・後一条天皇の中宮・藤原威子(ふじわらのいし)の御産祈祷の為に27体の等身仏を造仏しました。1036年(長元9年)に第68代・後一条天皇仏事の御仏3体、1040年(長暦4年・長久元年)に第69代・後朱雀天皇念持の一尺銀薬師像も造仏しました。1047年(永承2年)に前年に焼失した興福寺(こうふくじ)の仏像の修理・造仏し、その功績によって法眼(ほうげん)に叙されました。1053年(天喜元年)に平等院(びょうどういん)鳳凰堂(ほうおうどう)に本尊・阿弥陀如来坐像を造仏し、阿弥陀如来坐像が定朝唯一の確実な仏像と言われています。阿弥陀如来坐像は全てを柔らかな曲線と曲面でまとめ、平安時代後期の最高傑作とも言われています。定朝は寄木造(よせぎづくり)技法の完成者とされ、その和様の仏像彫刻様式は定朝様(じょうちょうよう)と言われています。なお定朝は1057年(天喜5年)9月2日に亡くなりました。
平等院見どころ

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