平等院扇の芝・平等院見どころ

平等院扇の芝

●平等院扇の芝は観音堂近くにあります。扇の芝は武将・公卿・歌人である源頼政(みなもとのよりまさ)終焉の場所と言われています。源頼政は平安時代末期の1180年(治承4年)に第77代・後白河天皇の第3皇子・以仁王(もちひとおう)の令旨を奉じ、平家打倒を掲げて挙兵したが、平氏軍に追われて平等院で自刃しました。源頼政が軍扇を広げ、辞世の句「埋もれ木の 花咲くこともなかりしに 身のなる果てぞ 悲しかりける」を詠み、西に向かって「南無阿弥陀仏」と唱えたと言われています。源頼政の墓地は最勝院近くにあります。
源頼政は平安時代後期の1104年(長治元年)に武将・歌人である源仲政(みなもとのなかまさ)と藤原友実(ふじわらともざね)の娘の子として生まれました。保延年間(1135年~1140年)頃に父・源仲政から家督を譲られ、1136年(保延2年)に六位蔵人(ろくいのくろうど)に補任され、同年に従五位下に叙されました。鳥羽上皇(第74代・鳥羽天皇)に仕え、寵妃・美福門院(びふくもんいん・藤原得子(ふじわらのとくし))とも交流を持ち、頼りにすべき武士として名を挙げられました。1155年(久寿2年)に兵庫頭( ひょうごのかみ )になりました。崇徳上皇(第75代・崇徳天皇)と第77代・後白河天皇と対立した1156年(保元元年)の保元の乱(ほうげんのらん)では第77代・後白河天皇方に参じて武功を挙げ、1158年(保元3年)に院の昇殿を許されました。平清盛(たいらのきよもり)を打倒しようとした1160年(平治元年)の平治の乱(へいじのらん)では初め源義朝(みなもとのよしとも)方に加わったが、その後平清盛にくみして武功を挙げ、従三位に叙せられて源三位(げんざんみ)と言われ、公卿(くぎょう)に列しました。平氏政権中、清和源氏の長老の位置を占め、従三位は清和源氏として突出していました。その後第77代・後白河天皇の第3皇子・以仁王(もちひとおう)が平氏政権打倒を目指して源氏や大寺社に蜂起を促す令旨を発した1180年(治承4年)の以仁王の挙兵に応じて挙兵したが、宇治平等院(びょうどういん)で自刃したと言われています。源頼政は弓術に長じ、歌人としても知られ、「源三位頼政集」など多数の和歌を残しています。また源頼政は「平家物語」に鵺(ぬえ)と呼ばれる怪物退治の説話が記されています。なお源頼政は1180年(治承4年)6月20日に亡くなりました。
平等院見どころ

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