知恩院勢至堂・知恩院見どころ(修学旅行)

●知恩院勢至堂は1899年(明治32年)4月5日に国の重要文化財に指定されました。
●知恩院勢至堂は戦国時代(室町時代後期)の1530年(享禄3年)に再建されました。知恩院勢至堂は元々浄土宗(じょうどしゅう)の宗祖・法然上人(ほうねんしょうにん)の住房・大谷禅房(おおたにのぜんぼう)があった場所で、知恩院発祥の地と言われています。法然上人は1207年(承元元年)に讃岐に配流され、1211年(建暦元年)に京都に戻って、天台座主(てんだいざす)で、青蓮院(しょうれんいん)の慈円(じえん・吉水僧正(よしみず そうじょう))の配慮によって大谷禅房に住し、1212年(建暦2年)1月25日に大谷禅房で亡くなったとも言われています。なお知恩院勢至堂にはかつて本尊・法然上人の御影(みえい)が祀られていたが、その後御影堂に移され、法然上人の本地身(ほんじしん)とされる本尊・勢至菩薩像(重要文化財)が祀られ、勢至堂と言われています。また法然上人終焉の本地の堂ということから本地堂(ほんじどう)とも言われています。
法然上人は平安時代後期の1133年(長承2年)4月7日に美作国(岡山県)久米南条稲岡荘の押領使(おうりょうし)・漆間時国(うるまときくに)と秦氏君(はたうじのきみ)清刀自の子として生まれたと言われています。1141年(保延7年)に9歳で父・漆間時国が殺害され、母方の叔父で、僧侶・観覚(かんがく)のもとで剃髪し、1145年(天養2年)に15歳で比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)に登って源光(げんこう)に師事して天台(てんだい)を学びました。しかし1150年(久安6年)に教学などに疑問を感じ、西塔黒谷・叡空(えいくう)のもとで修業し、法然房源空(ほうねんぼうげんくう)と称しました。その後20年間に渡って修学し、中国浄土教の僧・善導(ぜんどう)の「観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうしょ)」や天台宗の僧である恵心僧都(えしんそうず)・源信(げんしん)の「往生要集(おうじょうようしゅう)」により、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」の名号を口に出して称える称名念仏(しょうみょうねんぶつ)に専修する悟りに達し、浄土宗を開きました。京都吉水(よしみず)に草庵を結んで老若貴賤(ろうにやくきせん)に布教したが、女官の出家を契機に南都北嶺(興福寺(こうふくじ)・比叡山延暦寺)から迫害を受け、1207年(承元元年)に讃岐に配流され、その後赦免されて京都に戻りました。なお法然上人は1212年(建暦2年)1月25日に東山大谷(京都市東山区)で亡くなりました。
勢至菩薩は菩薩の一尊で、阿弥陀三尊(阿弥陀如来(あみだにょらい)・観音菩薩(かんのんぼさつ)・勢至菩薩)の右脇侍(わきじ)です。勢至菩薩は西方極楽浄土の教主・阿弥陀如来の智慧(ちえ)を表す化身とされ、智慧の光によって全てのものを照らし、衆生に悟りを求める菩薩心(ぼだいしん)の種子を与えるとされています。なお菩薩は原始仏教で悟りを開く前の仏陀(ぶつだ)のことです。
知恩院見どころ

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