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大徳寺法堂・大徳寺見所(修学旅行・観光)
●大徳寺法堂は1909年(明治42年)4月5日に国の重要文化財に指定されました。
●大徳寺法堂は江戸時代前期の1636年(寛永13年)に稲葉正則(いなばまさのり)が大徳寺156世・江月宗玩(こうげつそうがん)の参徒で、父・稲葉正勝(いなばまさかつ)の遺志により、開山国師(大燈国師(だいとうこくし)・宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう))三百年遠諱に再建しました。大徳寺法堂は鎌倉時代の1325年(正中2年)に宗印禅者を檀越として建立が始まり、室町時代の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火によって焼失し、室町時代に大徳寺第48世・一休宗純(いっきゅうそうじゅん)が再建し、1636年(寛永13年)に再建されました。
稲葉正勝は安土桃山時代1597年(慶長2年)に稲葉正成(いなばまさなり)と春日局(かすがのつぼね)の子として生まれました。母・春日局が江戸幕府第3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)の乳母になったことから乳兄弟になり、1604年(慶長9年)に徳川家光に小姓として仕えました。その後徳川家光の側近として、小納戸・徒頭・小姓組番頭・書院組番頭などを歴任し、1623年(元和9年)に老中(年寄衆)になり、1624年(寛永元年)に従五位下・丹後守に叙任されました。ちなみに稲葉正勝は常陸柿岡藩主・下野真岡藩主・相模小田原藩主の順に転付しました。1632年(寛永9年)に肥後国熊本藩2代藩主・加藤忠広(かとうただひろ)の改易に際に熊本城受取の上使を務めたが、1633年(寛永10年)夏頃から体調を崩しました。稲葉正勝は1634年(寛永11年)に38歳で小田原城で亡くなりました。
稲葉正則は江戸時代前期の1623年(元和9年)に稲葉正勝と母は山田重利の娘の子として生まれました。母・山田重利の娘が早世したことから祖母・春日局に養育され、1634年(寛永11年)に父・稲葉正勝が亡くなると家督(相模小田原藩第2代藩主)を相続しました。春日局の孫ということから幕閣として重用され、1658年(万治元年)に老中となり、22年間に渡って老中を務め、江戸幕府第4代将軍・徳川家綱(とくがわいえつな)の文治政治を担いました。また1633年(寛永10年)の大地震後に相模小田原藩の復興・城下町の整備などを行なって相模小田原藩の基礎を築きました。稲葉正則は1696年(元禄9年)に江戸で亡くなりました。
一般的に法堂は寺院で僧侶が経典の講義や説教などをする堂塔です。法堂は禅宗寺院で用いられ、禅宗寺院以外では講堂(こうどう)と言われています。講堂は通常、中国・唐時代の伽藍配置に倣って、金堂(本堂)の背後に建立されています。講堂は奈良時代に建立が始まり、鎌倉時代以後にはほとんど建立されなくなったが、禅宗寺院で仏殿の背後に法堂として建立されました。講堂で講義する際には本尊を安置し、講師が本尊に向かい、礼盤(らいばん)に座って講義を行いました。なお講堂は多くの僧侶が参集することから金堂よりも大きく建立されるが、装飾性は少い堂塔です。
●大徳寺法堂には天井に絵師・狩野永徳(かのうえいとく)の孫で、絵師・狩野探幽(かのうたんゆう)が35歳の時に描いた雲龍図があります。雲龍図は敷瓦の上で手を叩くと雲龍図に共鳴することから「鳴き龍」とも言われています。
狩野探幽は江戸時代初期の1602年(慶長7年)に狩野永徳(かのうえいとく)の孫、狩野孝信(かのうたかのぶ)の子として京都で生まれました。4歳の時に自ら筆をとって描いたとも言われ、1612年(慶長17年)に江戸に下り、その途中の駿府で江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)に謁し、1617年(元和3年)に16歳で江戸幕府の御用絵師になりました。1621年(元和7年)に江戸城鍛冶橋門外の屋敷を本拠として、幕命によって日光・芝・上野の徳川家霊廟の装飾や江戸城の障壁画を制作しました。また大坂城・二条城・名古屋城・京都御所などの障壁画も制作しました。1623年(元和9年)に鍛冶橋狩野家を興し、1635年(寛永12年)に出家して探幽斎と称し、僧位・法眼(ほうげん)に叙せられ、1662年(寛文元年)に宮内卿法印(くないきょうほういん)になって狩野派の権威を不動のものとしました。狩野探幽は狩野派の大画様式に水墨画や大和絵などの技法を取り入れ、優美で、あか抜けた瀟洒(しょうしゃ)な様式に変えました。なお狩野探幽は1674年(延宝2年)に亡くなりました。
雲龍図は龍が仏法を守護する八部衆(はちぶしゅう)のひとつとされていることから法堂(はっとう)などの天井に描かれています。法堂は僧侶が経典の講義や説教などをする場で、雨を呼ぶ水神の龍が仏法の教えを雨のように降らすと言われています。また水神の龍が寺院を火から守るとの意味も込められていると言われています。なお八部衆は天(てん)・夜叉(やしゃ)・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅(あしゅら)・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩ご羅伽(まごらが)です。
【大徳寺 備考】
*参考・・・京都・大徳寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
●大徳寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
大徳寺歴史(宗峰妙超・一休宗純)
●大徳寺の見どころ(方丈・山門など)を紹介しています。
大徳寺見どころ(方丈・山門など)