大徳寺山門・大徳寺見どころ(修学旅行)

●大徳寺山門は1909年(明治42年)4月5日に国の重要文化財に指定されました。
●大徳寺山門は下層が戦国時代(室町時代後期)の1525年(大永5年)に連歌師・宗長(そうちょう)らが寄進し、上層が安土桃山時代の1589年(天正17年)に千利休(せんのりきゅう)が設け、金毛閣(きんもうかく)と名付けました。大徳寺山門は禅寺の三門の中で、東福寺(とうふくじ)の三門に次いで古いと言われています。なお山門上層に雪駄を履いた利休木像が安置され、門を通る者は木像の下をくぐることになり、関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の怒りを買って、千利休切腹の一因になったとも言われています。
連歌師・宗長は室町時代中期の1448年(文安5年)に鍛冶職・五条義助の子として駿河国島田で生まれました。幼少の頃に今川義元(いまがわよしもと)の祖父で、駿河国守護・今川義忠(いまがわよしただ)に出仕していたが、1465年(寛正6年)に18歳で出家しまし、応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))が起こると今川義忠に従って京都に上洛し、その後も駿河で今川義忠に仕えていました。1476年(文明8年)に今川義忠が戦死すると今川家で内紛が発生し、再び京都に上洛しました。一時駿河に滞在していた連歌師・宗祇(そうぎ)に師事して連歌を学び、大徳寺第48世・一休宗純(いっきゅうそうじゅん)に参禅し、一休宗純が亡くなると山城国薪村(京都府京田辺市)の酬恩庵(しゅうおんあん)に住んで一休宗純の菩提を弔いました。晩年は駿河宇津山麓に柴屋軒(さいおくけん)を結んで隠棲(いんせい)し、今川氏の政治に協力したり、関西・東国・北国を旅行したりしました。宗長は1532年(天文元年)に亡くなりました。
千利休は室町時代後期の1522年(大永2年)に田中与兵衛(たなかよひょうえ)と月岑妙珎(げっしん)の子として和泉国堺に生まれました。17歳から茶の湯を習い、先ず茶匠・北向道陳(きたむきどうちん)に師事し、その後茶人・武野紹鴎(たけのじょうおう)に師事しました。1544年(天文13年)に松屋久政らを招いて茶会を開き、その後堺の実質的支配する三好氏の御用商人になりました。1569年(永禄12年)にいずれも千利休とともに茶湯の天下三宗匠と称せられた今井宗久(いまいそうきゅう)・津田宗及(つだそうぎゅう)とともに織田信長の茶頭(さどう)になりました。1582年(天正10年)の本能寺の変後に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)に仕えて茶頭になりました。1585年(天正13年)に豊臣秀吉が禁中茶会を催した際、号・利休居士を与えられ、天下一の茶人(茶湯者)としての地位を確立し、1587年(天正15年)に豊臣秀吉による北野大茶湯も主管しました。ちなみに千利休は豊臣秀吉の政事にも関わり、キリシタン大名・大友宗麟(おおともそうりん)が大坂城を訪れた際、豊臣秀長(とよとみひでつぐ)から「公儀のことは私に、内々のことは宗易(利休)に」と忠告されたと言われています。しかし1591年(天正19年)に突然豊臣秀吉の逆鱗に触れ、1591年(天正19年)4月21日に切腹を命じられ、その首は一条戻橋で梟首(きょうしゅ)されました。なお千利休は草庵風の茶室を完成し、朝鮮の茶碗や日常雑器を茶道具に取り入れ、簡素・清浄なわび茶(草庵の茶)を完成させました。
豊臣秀吉は1537年(天文6年)3月17日(旧暦2月6日)に織田信長(おだのぶなが)の足軽(百姓)・木下弥右衛門(きのしたやえもん)と美濃の鍛冶・関兼貞の娘・なか(仲・天瑞院(てんずいいん))との間に生まれました。1554年(天文23年)頃から織田信長に仕え、1561年(永禄4年)に浅野長勝(あさのながかつ)の養女・北政所(ねね)と恋愛結婚しました。その後戦功を重ねて頭角を現し、1582年(天正10年)に明智光秀(あけちみつひで)が織田信長に謀反を起こした本能寺の変(ほんのうじのへん)後、山崎の戦い(やまざきのたたかい)で明智光秀を破り、四国・九州・関東・奥羽を平定し、1590年(天正18年)に天下を統一を成し遂げ、1598年(慶長3年)9月18日(旧暦8月18日)に62歳で伏見城内で亡くなりました。なお豊臣秀吉は1585年(天正13年)に関白、翌1586年(天正14年)に豊臣姓を賜って、太政大臣になりました。
一般的に山門(三門)は一切は空と悟る空門(くうもん)・一切の執着を離れた無相門(むそうもん)・一切の願求(がんぐ)の念を捨てる無願門(むがんもん)の三境地を経て、仏国土(ぶっこくど)に至る門・三解脱門(さんげだつもん)のことです。山門は寺院の正門で、禅宗七堂伽藍(山門・本尊を安置する仏殿(金堂)・僧侶が仏教を講義する法堂(はっとう)・坐禅など仏道修行に励む僧堂(そうどう)・僧侶が居住する庫裏(くり)・トイレである東司(とうす)・浴室である浴室(よくどう))に数えられています。なお山門は本来山上に建てられた寺院の門のことを言っていたが、現在は平地に建てられた寺院の門のことも言います。
大徳寺見どころ

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