延暦寺戒壇院(大乗戒壇院堂)・延暦寺見どころ

延暦寺戒壇院(大乗戒壇院堂)

●延暦寺戒壇院(大乗戒壇院堂)は1901年(明治34年)8月2日に国の重要文化財に指定されました。
●延暦寺戒壇院(大乗戒壇院堂)は江戸時代中期の1678年(延宝6年)に再建されました。延暦寺戒壇院(大乗戒壇院堂)は初代天台座主・義真(ぎしん)の時代(824年(天長元年)~833年(天長10年))、平安時代前期の828年(天長5年)に初めて建立されたと言われています。戒壇院(大乗戒壇院堂)では大乗戒(だいじょうかい)の授戒の儀式が行われました。
大乗戒は大乗の菩薩(ぼさつ)が自覚を持って守るべき戒です。大乗戒には自己の悪を抑え、善を勧めるだけでなく、人の為の利他を含んでいます。大乗戒には止悪(しあく)・修善(しゅぜん)・利他(りた)の3つの面を持つ三聚浄戒(さんじゅじょうかい)の性格を持っています。なお大乗戒は菩薩戒(ぼさつかい)・仏性戒(ぶっしょうかい)とも言われています。なお菩薩は悟りを求め修行するとともに他の人も悟りに到達させようとする者です。
伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)は平安時代前期の819年(弘仁10年)に菩薩(ぼさつ)が守るべき大乗戒壇(だいじょうかいだん)建立を奏上したが、南都六宗(三論宗(さんろんしゅう)・成実宗(じょうじつしゅう)・法相宗(ほっそうしゅう)・倶舎宗(くしゃしゅう)・華厳宗(けごんしゅう)・律宗(りっしゅう) )の反対で許されず、822年(弘仁13年)6月26日に54歳で亡くなりました。死後7日目に大乗戒壇建立の勅許が下りました。
義真は奈良時代の781年(天応元年)に相模国(神奈川県)で生まれました。奈良・興福寺(こうふくじ)で法相宗(ほっそうしゅう)を学び、律宗の開祖・鑑真和上(がんじんわじょう)の弟子から授戒され、中国語(唐語)を学んだとも言われています。天台宗の宗祖である伝教大師・最澄に師事し、804年(延暦23年)に中国語(唐語)の通訳(訳語)として最澄とともに入唐し、最澄とともに天台宗の第7祖・道邃(どうすい)から円頓戒(えんどんかい)、密教の僧・順暁(じゅんぎょう)から密教の付法書を授かって帰国しました。帰国後に延暦寺の整備・天台宗の発展に協力し、822年(弘仁13年)に最澄が亡くなると大乗戒壇(だいじょうかいだん)初の授戒の伝戒師(でんかいし)になり、824年(天長元年)に初代の天台座主に就任し、832年(天長9年)に天台宗の僧として初めて維摩会(ゆいまえ)の講師になりました。撰集には「天台法華宗義集」があります。なお義真は833年(天長10年)8月26日に亡くなりました。
延暦寺見どころ

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