平安神宮応天門・平安神宮見どころ

平安神宮応天門

●平安神宮応天門は2010年(平成22年)12月24日に国の重要文化財に指定されました。
●平安神宮応天門は1895年(明治28年)に大内裏(だいだいり)の正庁・朝堂院(ちょうどういん)の正門・応天門(おうてんもん)を模し、第4回内国勧業博覧会のモニュメントとして造営されました。
朝堂院は飛鳥時代から平安時代に宮城(きゅうじょう)内の天皇在所である大内裏(だいだいり)の正庁です。朝堂院は元々百官が朝参(ちょうさん)・朝政(あさまつりごと)・告朔(こうさく)などの政務を執る場所であったが、次第に即位・大嘗会(だいじょうえ)・朝賀(ちょうが)などの国家的儀式や宴を行う場所になりました。朝堂院は正殿である大極殿(だいごくでん)・朝拝や饗宴などの国儀大礼などを行った朝堂(ちょうどう)・官人などが出仕する際の控えとなった朝集殿(ちょうしゅうでん)を回廊で囲み、南面に正門である応天門(おうてんもん)がありました。朝堂院は平安時代前期の818年(弘仁9年)以降は八省院(はっしょういん)とも称されました。
応天門は朝堂院(八省院)の正門です。応天門は平安京の中央を南北に貫通する朱雀大路(すざくおおじ)を北行し、大内裏南面の朱雀門(すざくもん)を入ってすぐ北側にありました。応天門は朱雀門・朝堂院の中門である会昌門(かいしょうもん)と並ぶ重要な門でした。応天門には東南に突き出た栖鳳楼(せいほうろう)・西南に突き出た翔鸞楼(しょうらんろう)があり、栖鳳楼・翔鸞楼は相対する位置にありました。栖鳳楼・翔鸞楼は大極殿(だいごくでん)の東南に位置した蒼龍楼(そうりゅうろう)・大極殿の西南に位置した白虎楼(びゃっころう)とともに朝堂院の四楼に数えられました。
第4回内国勧業博覧会は1895年(明治28年)に京都岡崎を会場として行われました。会期は1895年(明治28年)4月1日~7月31日で、1,136,695人が入場しました。第4回内国勧業博覧会は会場面積約17万8,000平方メートル、建物面積約4万7,000平方メートルで、美術館・工業館・農林館・機械館・水産館・動物館などの建物があり、大理石製の噴水も建てられました。また1895年(明治28年)4月に七条(京都駅前)から博覧会場まで路面電車(京都電気鉄道)も開業しました。なお博覧会跡地には平安神宮や文化施設などが整備されました。
●平安神宮応天門は建築面積約132.20平方メートル(幅約18.0メートル・高さ約19.3メートル)の二階二重門で、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
平安神宮見どころ

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