石清水八幡宮若宮社・石清水八幡宮見どころ(修学旅行・観光)

石清水八幡宮若宮社

●石清水八幡宮若宮社は2008年(平成20年)12月2日に国の重要文化財に指定されました。
●石清水八幡宮若宮社は江戸時代前期の寛永年間(1624年~1643年)頃に再建されました。若宮社は第16代・仁徳天皇(にんとくてんのう)を祭神として祀っています。
第16代・仁徳天皇は257年(神功皇后摂政57年)に第15代・応神天皇(おうじんてんのう)と五百城入彦皇子(いおきいりびこのみこ)の孫・仲姫命(なかつひめのみこと)の第4皇子・大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)として生まれました。父・応神天皇は異母弟・菟道稚郎子命(うじのわきのいらつこ)を寵愛し、309年(応神天皇40年)1月24日に兄らを差し置いて菟道稚郎子命を皇太子に立てました。父・応神天皇はいずれも菟道稚郎子命の兄である大山守皇子(おおやまもりのみこ)と大鷦鷯尊に「年長の子どもと年少の子どもの内、どちらがより愛おしいか」と尋ね、大山守皇子は年長と答えると不機嫌になり、大鷦鷯尊は空気を読んで年少と答えると喜んだと言われています。その後310年(応神天皇41年)に父・応神天皇が崩御すると大鷦鷯尊と皇太子・菟道稚郎子命が皇位を互いに譲り合って、天皇の空位が3年に及んだが、皇太子・菟道稚郎子命が異母兄・大鷦鷯尊に皇位を譲る為に自殺したと言われ、313年(仁徳天皇元年)1月3日に大鷦鷯尊は第16代・仁徳天皇に即位しました。同年に都を難波高津宮(なにわのたかつのみや)に移し、翌314年(仁徳天皇2年)に武内宿禰(たけしうちのすくね)の孫娘・葛城磐之媛(かつらぎのいわのひめ)を皇后にしました。仁徳天皇は河内平野(かわちへいや)の開発に努めたとも言われています。316年(仁徳天皇4年)に人家の竈(かまど)から煙が立ち上っていなかったことから租税を3年間免除し、倹約の為に宮殿の屋根を葺き替えなかったと言われています。租税再開後に狭山池(さやまいけ)・茨田堤(まんだづつみ)など大規模な灌漑工事を行なって開拓し、その治世は聖の世と称されたと言われています。第1皇子は第17代・履中天皇(りちゅうてんのう)、第3皇子は第18代・反正天皇(はんぜいてんのう)、第4皇子は第19代・允恭天皇(いんぎょうてんのう)になりました。なお第16代・仁徳天皇は399年(仁徳天皇87年)1月16日に崩御しました。
●石清水八幡宮若宮社は桁行五間・梁間四間で、日吉造(ひえづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。若宮社は向拝(こうはい)一間です。若宮社は左右に瑞垣(みずがき)、東面に玉垣(たまがき)が附属しています。
日吉造は平安時代初期に現れたとも言われる特異な社殿形式です。日吉造は内陣と外陣に分かれ、内陣の正面と外陣の両側面に庇が取り付けられています。日吉造は滋賀県大津市の日吉大社(ひよしたいしゃ)に見られ、聖帝造(しょうていづくり)・山王造(さんのうづくり)とも言われています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
向拝は寺院・神社建築で仏堂・社殿の屋根の中央が前方に張り出した部分です。向拝は仏堂・社殿の入口に階段上に設けられることから階隠(はしかくし)とも言われています。
石清水八幡宮見どころ

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