上賀茂神社賀茂山口神社・上賀茂神社見どころ(修学旅行・観光)

上賀茂神社賀茂山口神社

●上賀茂神社賀茂山口神社は片岡山の南側山裾で、ならの小川(御手洗川)から東に分流する沢田川の畔に祀られ、沢田神社とも言われています。賀茂山口神社は起源が明確ではないが、平安時代前期の859年(貞観元年)正月27日に従五位下(じゅごいげ)に叙され、それ以前から祀られていたとも言われています。平安時代中期の「延喜式神名帳(927年(延長5年))」に「山城国愛宕郡 賀茂山口神社」と記され、式内社(小)に列せられました。1877年(明治10年)3月21日に内務省によって上賀茂神社の第5摂社(境内摂社)に定めらました。賀茂山口神社は稲の神とも言われている御歳神(みとしのかみ)を祀り、上賀茂神社の御田を始め、神領地の田畑守護の神とされています。なお賀茂山口神社では上賀茂神社で御田植祭(おたうえさい)が行われる際、賀茂山口神社でも祝詞奏上などの神事が行われます。
御歳神は日本最古の歴史書「古事記(こじき)・712年(和銅5年)編纂」によると天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟神・須佐之男命(すさのおのみこと)の子孫で、大年神(おおとしのかみ)と香用比売(かよひめ)の間に生まれた子神で、穀物神とされています。平安時代初期の神祇大副(じんぎのおおきすけ)・斎部広成(いんべのひろなり)が編纂した神道資料・「古語拾遺(こごしゅうい)・807年(大同2年)編纂」では神祇官(じんぎかん)が白猪・白馬・白鶏を供えて御歳神に祀ったことが記され、朝廷でも重要な穀物神とされていたそうです。
御田植祭は奈良時代中期の750年(天平勝宝2年)に始まったとも言われています。御田植祭では五穀豊穣を祈願します。御田植祭では上賀茂神社・賀茂山口神社の本殿で神事が行われ、最後に神職がならの小川に架かる神事橋から早苗を後ろ向きにならの小川に投げ入れます。なお御田植祭は重労働の田植えを田植歌を歌いながら楽しく行う風習と豊穣を祈願する儀礼とが結びついたとも言われています。芸能要素が強いものは田遊びとも言われます。
御手洗川は賀茂川(鴨川)に設けられた明神井堰から取水され、上賀茂神社の御生所近くで御生川(みあれがわ)になり、上賀茂神社の境内に入ると御手洗川になり、楼門西側で御物忌川(おものいがわ)と合流するとならの小川(楢の小川)になり、境内を出ると明神川になり、琵琶湖疎水分線に合流しています。
●上賀茂神社賀茂山口神社は本殿が一間社流造(いっけんしゃながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。拝殿が切妻造(きりづまづくり)の檜皮葺です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
上賀茂神社見どころ

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