上賀茂神社御手洗川・上賀茂神社見所(修学旅行・観光)

上賀茂神社御手洗川

●上賀茂神社御手洗川は御物忌川(おものいがわ)とともに上賀茂神社の境内を流れています。ちなみに御物忌川はゴルフ場の小池(蟻ケ池(ありがいけ))や柊野の耕地整理組合用水路を源としています。御手洗川は賀茂川(かもがわ・鴨川)に設けられた明神井堰(みょうじんいせき)から取水された明神川(みょうじんがわ)が始まりです。明神川は上賀茂神社の御生所(みあれどころ)近くで御生川(みあれがわ)に名前を変え、上賀茂神社の境内に入ると御手洗川に名前を変え、楼門西側で御物忌川と合流するとならの小川(楢の小川)に名前を変え、境内を出ると明神川に再び名前を変え、琵琶湖疏水(びわこそすい)分線に合流しています。ちなみにならの小川の名所は奈良社近くを流れているからとも、楢の木々の中を流れているからとも言われています。なお御手洗川では人を清め、御物忌川では祭器を洗い清めたと言われています。ちなみに上賀茂神社では例年6月30日に夏越大祓式(なごしのおおはらえしき)が行われています。平安時代後期から鎌倉時代前期の公卿・歌人である藤原家隆(ふじわらのいえたか)は大祓式の情景を「風そよぐ 楢(なら)の小川の 夕暮は 御禊ぞ夏の しるしなりける」と詠んでいます。
鴨川は京都市北区にある標高約896メートルの桟敷ヶ岳(さじきがだけ)を源とし、上賀茂付近で京都盆地に出て、出町付近で高野川と合流してから南流し、下鳥羽付近で京都盆地の西側を流れる一級河川・桂川と合流して淀川に注ぎます。なお鴨川は上流で賀茂川(加茂川)とも言われています。
夏越大祓式では過去半年間の罪・穢れを祓い、今後半年間の無病息災を祈願します。夏越大祓式では茅の輪(ちのわ)くぐりや人形流し(ひとがたながし)が行われます。茅の輪くぐりでは立砂の前に設置された茅の輪を神職・巫女などが左回り・右回り・左回りに3回くぐります。
●上賀茂神社御手洗川(ならの小川)では葵祭に先だって、例年5月4日に葵祭の前儀・斎王代禊の儀(さいおうだいみそぎのぎ)が行われています。(上賀茂神社と下鴨神社の1年交代制)斎王代禊の儀では十二単を身に纏った斎王代が境内を流れるならの小川に両手をひたして身を清めます。
斎王代はかつて天皇の娘である未婚の内親王(ないしんのう)から選ばれ、葵祭に奉仕していた斎王の代理です。賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)では平安時代前期の810年(大同5年)に賀茂斎院が置かれ、第52代・嵯峨天皇の皇女・有智子内親王(うちこないしんのう)が初代斎王として仕えました。なお斎王代は1956年(昭和31年)以降、京都市内の未婚の一般女性選ばれているそうです。
葵祭は古墳時代後期の第29代・欽明天皇の時代(539年~571年)に京都をはじめ全国が風水害に見舞われ、飢餓・疫病が流行し、賀茂大神(上賀茂神社・下鴨神社)の祟りであるとしたのが起源です。平安時代前期807年(大同2年)に勅祭になり、819年(弘仁10年)に律令制度の中で最も重要な恒例祭祀(中祀)に準じて行われる国家的行事になりました。平安時代中期に祭りと言えば、葵祭のことを指すほど隆盛を極めました。
【上賀茂神社 備考】
*参考・・・上賀茂神社(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
●上賀茂神社の歴史(創建から現在)を紹介しています。
上賀茂神社歴史(賀茂別雷命・・・)
●上賀茂神社の見どころ(本殿・細殿立砂など)を紹介しています。
上賀茂神社見どころ(本殿・細殿立砂など)

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