高台寺観月台・高台寺見どころ

高台寺観月台

●高台寺観月台は1953年(昭和28年)8月29日に国の重要文化財に指定されました。
●高台寺観月台は桃山時代(1573年~1614年)に造営されました。高台寺観月台は関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)遺愛とも言われています。豊臣秀吉は1591年(天正19年)に関白の地位と政庁である聚楽第(じゅらくてい)を養嗣子(ようしし)で、甥・豊臣秀次(とよとみひでつぐ)に譲り、1592年(天正20年)に平安時代から観月の名所である伏見指月に隠居屋敷の造営を開始し、1593年(文禄2年)9月頃に完成したとも言われています。
豊臣秀吉は1537年(天文6年)3月17日(旧暦2月6日)に織田信長(おだのぶなが)の足軽(百姓)・木下弥右衛門(きのしたやえもん)と美濃の鍛冶・関兼貞の娘・なか(仲・天瑞院(てんずいいん))との間に生まれました。1554年(天文23年)頃から織田信長に仕え、1561年(永禄4年)に浅野長勝(あさのながかつ)の養女・北政所(ねね)と恋愛結婚しました。その後戦功を重ねて頭角を現し、1582年(天正10年)に明智光秀(あけちみつひで)が織田信長に謀反を起こした本能寺の変(ほんのうじのへん)後、山崎の戦い(やまざきのたたかい)で明智光秀を破り、四国・九州・関東・奥羽を平定し、1590年(天正18年)に天下を統一を成し遂げ、1598年(慶長3年)9月18日(旧暦8月18日)に62歳で伏見城内で亡くなりました。なお豊臣秀吉は1585年(天正13年)に関白、翌1586年(天正14年)に豊臣姓を賜って、太政大臣になりました。
●高台寺観月台では北政所が関白・豊臣秀吉を偲びながら月を眺めたとも言われています。高台寺観月台の南側には枯滝石組の築山を配した鶴島、偃月池(えんげつち)の中央にある亀頭石、亀脚石のある亀島を配した鶴亀の蓬莱山水(ほうらいさんすい) の庭が広がっています。
北政所(ねね・おね)は戦国時代(室町時代後期)の1548年(天文17年)または1549年(天文18年)に杉原定利(すぎはらさだとし)と朝日殿(あさひどの)の次女として尾張国朝日村(愛知県清須市)に生まれました。その後叔母・七曲殿(ななまがりどの)の嫁ぎ先である浅野長勝(あさのながかつ)の養女になりました。1561年(永禄4年)に14歳で関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし・木下藤吉郎(きのしたとうきちろう))と恋愛結婚しました。北政所と豊臣秀吉の間に子供はなかったが、いずれも賤ヶ岳の七本槍(しずがたけのしちほんやり)に数えられた加藤清正(かとうきよまさ)・福島正則(ふくしままさのり)など豊臣秀吉・北政所の親類縁者を養子や家臣として養育しました。1585年(天正13年)に豊臣秀吉が関白になると従三位に叙せられ、北政所の称号を許されました。1588年(天正16年)に豊臣秀吉が造営した聚楽第(じゅらくてい)に第107代・後陽成天皇が行幸し、無事に還御すると従一位に昇叙しました。1598年(慶長3年)に豊臣秀吉が亡くなると豊臣秀吉の側室・淀殿(よどどの)とともに豊臣秀頼(とよとみひでより)を後見し、1603年(慶長8年)に豊臣秀頼と徳川家康(とくがわいえやす)の孫で、徳川秀忠(とくがわひでただ)の長女・千姫(せんひめ)と結婚すると落飾し、朝廷から院号を賜って高台院快陽心尼(高台院湖月心尼)と称しました。1606年(慶長11年)に高台寺を創建し、豊臣秀吉の菩提(ぼだい)を弔いました。なお北政所は1624年(寛永元年)10月17日に亡くなりました。
高台寺見どころ

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