仁和寺勅使門・仁和寺見どころ

仁和寺勅使門

●仁和寺勅使門は登録有形文化財に指定されています。
●仁和寺勅使門は1887年(明治20年)に焼失し、1913年(大正2年)に京都府の技師・亀岡末吉(かめおかすえきち)の設計によって再建されました。仁和寺勅使門は西本願寺(にしほんがんじ)の唐門を模した形式で、壁面や桟唐戸(さんからど)などに花菱(はなびし)・鳳凰(ほうおう)・唐草(からくさ)などを図案化した透彫りがあります。
亀岡末吉は1865年(慶應元年)12月21日に前橋藩士の子として生まれました。画家を志し、東京美術学校の絵画科に入学し、1894年(明治27年)に卒業しました。1901年(明治34年)から内務省の古社寺調査に携わり、寺社の修理に従事しました。その後宮城県技師になり、1907年(明治40年)に京都府技師になり、平等院(びょうどういん)鳳凰堂(ほうおうどう)を修理しました。また東福寺(とうふくじ)の方丈や東本願寺(ひがしほんがんじ)・仁和寺の門なども再建しました。ちなみに仁和寺では霊明殿・宸殿も設計し、亀岡末吉の設計は「亀岡式」と言われました。なお亀岡末吉は1922年(大正11年)11月26日に亡くなりました。
一般的に勅使門は天皇の使者・勅使が寺院に参向した際に出入りに使われる門です。ちなみに使者は上皇の場合に院使(いんし)、皇后の場合に皇后宮使(こうごうぐうし)、中宮の場合に中宮使(ちゅうぐうし)、皇太后の場合に皇太后宮使(こうたいごうぐうし)、女院の場合に女院使(にょいんし)と言われます。
●仁和寺勅使門は間口約5.2メートルの四脚門で、入母屋造(いりもやづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。仁和寺勅使門は前後に唐破風(からはふ)があり、左右に袖塀付です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
唐破風は弓形のように中央部を丸みをつけ、両端が反りかえった曲線状に造形した破風です。軒唐破風は屋根本体の軒先を丸みを帯びた造形した破風です。向唐破風は屋根本体とは別に出窓のように造形した破風です。なお破風は切妻造(きりづまづくり)・入母屋造(いりもやづくり)の屋根の妻の三角形の部分です。
仁和寺見どころ

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