西本願寺阿弥陀堂・西本願寺見どころ

西本願寺阿弥陀堂

●西本願寺阿弥陀堂は1913年(大正2年)4月14日に国の重要文化財、2014年(平成26年)9月18日に国宝に指定されました。
●西本願寺阿弥陀堂は江戸時代中期の1760年(宝暦10年)に再建されました。安土桃山時代の1591年(天正19年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)から京都堀川六条の土地を寄進され、その後御影堂が建立されたとも言われています。また1618年(元和4年)に再建されたとも言われています。その後1985年(昭和60年)に修復が行われました。2017年(平成29年)から修復工事が始まり、2022年(令和4年)3月まで続く予定です。総事業費は飛雲閣(ひうんかく)などを含め、約12億円になるそうです。
一般的に阿弥陀堂は阿弥陀如来を本尊として安置する堂塔です。奈良時代に奈良・東大寺(とうだいじ)阿弥陀堂や法華寺(ほっけじ)浄土院が建立され、阿弥陀悔過(けか)などの法要が行われました。平安時代中期から貴族に浄土信仰の広まり、極楽浄土を現前させたい願望から多く建立されました。京都府宇治市の平等院(びょうどういん)鳳凰堂(国宝)・京都府木津川市の浄瑠璃寺(じょうるりじ)本堂(国宝)・岩手県平泉町の中尊寺(ちゅうそんじ)金色堂(国宝)などが知られています。
●西本願寺阿弥陀堂の内陣には本尊・阿弥陀如来像を安置しています。
阿弥陀如来は大乗仏教の如来のひとつで、西方の極楽浄土(ごくらくじょうど)の教主とされています。阿弥陀如来は弥陀仏(阿弥陀佛)・無量光仏(むりょうこうぶつ)・無量寿仏(むりょうじゅぶつ)とも言われています。阿弥陀如来は生あるものを全てを救う如来とされています。阿弥陀如来は紀元100年頃に編纂された大乗仏教の経典「無量寿経(むりょうじゅきょう)」によると世自在王仏(せじざいおうぶつ)のもとで出家して修行していた時、法蔵比丘(ほうぞうびく)という菩薩(法蔵菩薩( ほうぞうぼさつ))であったが、48の誓願(四十八願 (しじゅうはちがん))を立てて修行して仏になり、仏国土である極楽浄土(ごくらくじょうど)を設立して現在もそこで説法しているとされています。阿弥陀如来は飛鳥時代(7世紀前半)に日本に伝わり、平安時代中期以降に隆盛して阿弥陀如来像が造仏され、鎌倉時代に念仏によって極楽浄土に往生できるという阿弥陀信仰が盛んになり、法然上人(ほうねんしょうにん)を宗祖とする浄土宗(じょうどしゅう)・親鸞聖人(しんらんしょうにん)を宗祖とする浄土真宗(じょうどしんしゅう)・一遍上人(いっぺんしょうにん)を宗祖とするを時宗が成立しました。
●西本願寺阿弥陀堂は桁行約45.2メートル、梁間約42.1メートル・高さ約25メートルで、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。瓦は約9万5千枚使われ、屋根の重さは約7,200トンになります。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
西本願寺見どころ

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