西本願寺御影堂・西本願寺見どころ

西本願寺御影堂

●西本願寺御影堂は1913年(大正2年)4月14日に国の重要文化財、2014年(平成26年)9月18日に国宝に指定されました。
●西本願寺御影堂は江戸時代前期の1636年(寛永13年)に再建されました。安土桃山時代の1591年(天正19年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)から京都堀川六条の土地を寄進され、その後御影堂が建立されたとも言われています。1999年(平成11年)から平成の大修復が開始され、10年後の2009年(平成21年)に完了しました。大修復には総工費が57億5千万円で、工期が10年・職人が延6万人も要しました。ちなみに大修復の過程はNHKが撮影し、その様子がNHKの特集番組で放送されました。
一般的に御影堂は寺院の開基(かいき)・開山(かいさん)や宗祖の像を安置した堂塔です。御影堂は奈良時代頃から開山の没後に敬慕の心を込めて建立されるようになりました。御影堂は祖師堂(そしどう)・開山堂などとも言われています。
●西本願寺御影堂は中央に親鸞聖人の木像、両脇に本願寺歴代宗主の影像を安置しています。
親鸞聖人は平安時代後期の1173年(承安3年)5月21日に皇太后宮大進(たいごうぐうしょく)・日野有範(ひのありのり)と吉光女(きっこうにょ)の長男として生まれました。1181年(治承5年)9歳で叔父・日野範綱(ひののりつな)に伴われて天台三門跡・青蓮院(しょうれんいん)に入り、その後天台座主・慈円(じえん・慈鎮(じちん))のもとで得度し、範宴(はんねん)と称しました。出家後に比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)で20年間修行を続け、天台宗(たんだいしゅう)を学びました。1201年(建仁元年)に聖徳太子(しょうとくたいし)創建とされる六角堂(ろっかくどう)に百日参籠し、夢告に従って浄土宗(じょうどしゅう)の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)の門弟になり、浄土教を学びました。法然上人から綽空(しゃっくう)の名を与えられ、その後法然上人の許しを得て恵信尼(えしんに)と結婚したとも言われています。1207年(建永2年)に後鳥羽上皇(第82代・後鳥羽天皇)の怒りに触れる承元の法難(じょうげんのほうなん)に連座し、専修念仏が停止され、法然上人と親鸞聖人を含む7名の弟子が流罪になりました。越後に配流され、1211年(建暦元年)11月に勅赦なったが、1212年(建暦2年)1月に法然上人が亡くなると京都に戻らず、信濃(しなの)・下野(しもつけ)・常陸(ひたち)などの約20年間に渡って東国布教を努め、常陸稲田で4年の歳月を掛けて浄土真宗の教義を体系化した「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」を著しました。60歳で帰洛の途につき、62歳頃に帰京し、京都で転々と住居を移して教化と著述に努めました。なお親鸞聖人は1263年(弘長3年)に90歳で亡くなりました。
●西本願寺御影堂は桁行62.1メートル・梁間53.8メートル・高さ約29メートルで、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。屋根の面積は約4,900平方メートルで、瓦は11万5,000枚葺かれました。ちなみに平瓦は長さ約45~60センチ・幅約33~35センチ・厚み約3センチで、重さ約8.5~9キロあります。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
西本願寺見どころ

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