西本願寺経蔵・西本願寺見どころ(修学旅行)

西本願寺経蔵

●西本願寺経蔵は2014年(平成26年)9月18日に国の重要文化財に指定されました。
●西本願寺経蔵は江戸時代中期の1678年(延宝6年)に西本願寺第14代・寂如(じゃくにょ)が建立しました。西本願寺経蔵には江戸時代前期の1648年(慶安元年)9月に西本願寺第13代・良如(りょうにょ)が幕府の要請や自らの希望で、銀27貫目で購入した天海版「一切経(いっさいきょう・大蔵経)」が八角輪蔵(はっかくりんぞう)に収められています。
西本願寺第14代・寂如は江戸時代前期の1651年(慶安4年)に西本願寺第13代・良如の子として生まれました。1661年(寛文元年)11歳で左大臣・九条兼晴(くじょうかねはる)の猶子になって得度し、1662年(寛文2年)に父・良如が亡くなると12歳で西本願寺第14代になりました。その後経蔵を建立したり、大谷本廟を再建したりしました。
西本願寺第13代・良如は江戸時代前期の1613年(慶長17年)に西本願寺第13代・准如(じゅんにょ)の子として生まれました。1626年(寛永3年)に内室の父で、関白・九条幸家(くじょうゆきいえ)の猶子になって得度し、1630年(寛永7年)に父・准如が亡くなると西本願寺第13代になりました。その後御影堂を再建したり、学寮を開設したりしました。
一般的に経蔵は寺院で「一切経」などの経典を納める蔵です。経蔵は経堂・経楼とも言われています。
「一切経」は仏教の経典を総集したものです。「一切経」は経蔵(きょうぞう・仏の教説集)・律蔵(りつぞう・仏弟子の生活規範)・論蔵(ろんぞう・インド仏教学者による経の解釈)の三蔵(さんぞう)を中心にそれらの注釈書などを加えたものです。「一切経」には古代インドの標準的文章語である梵語(ぼんご・サンスクリット語)・古代中西部インドのパーリ語の原典にチベット語・中国語・蒙古語・満州語などの訳本があります。「一切経」は「大蔵経(だいぞうきょう)」とも言われています。「一切経」は中国の南北朝時代(439年~580年)から使用され、「大蔵経」は中国の隋時代(581年~618年)から使用されています。
八角輪蔵は中央の心柱を支えとする回転書架です。八角輪蔵はお釈迦様の転法輪(てんぼうりん)に由来し、中国南朝梁の傅大士(ふだいし)が起源とも言われています。傅大士は「一切経(大蔵経)」を閲覧する便を図って、転輪蔵を考案しました。
●西本願寺経蔵は桁行一間・梁間一間で、宝形造(ほうぎょうづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。西本願寺経蔵は一重裳階(もこし)付きです。
宝形造は隅棟(すみむね)が屋根の中央に集まり、屋根の頂部に水平の棟を作らない屋根形式です。ちなみに宝形造は寄棟造(よせむねづくり)のように雨が四方に流れ落ちます。宝形造の名称は露盤(ろばん)・伏鉢(ふくばち)・宝珠(ほうじゅ))の総称を宝形と言うことに由来しています。なお宝形造は方形造とも言われています。屋根が六角形の場合に六注、八角形の場合に八注と言われています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
裳階は仏堂などの本来の屋根の下に付けた差し掛けの屋根です。屋根が二重になるので2階建てと間違われたりします。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や法隆寺(ほうりゅうじ)金堂と五重塔・薬師寺(やくしじ)の東塔が代表例です。白鳳時代(はくほうじだい)に建立された法隆寺の金堂と五重塔が日本最古の例です。なお裳階は雨打 (ゆた) ・雪打 (ゆた) とも言われています。
西本願寺見どころ

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