西本願寺滴翠園・西本願寺見どころ

西本願寺滴翠園

●西本願寺滴翠園は名勝です。
●西本願寺滴翠園は西本願寺第18代・文如(もんにょ)の時代、江戸時代中期の1768年(明和5年)に作庭されたと言われています。茶室・澆花亭(ぎょうかてい)に建てられ、滴翠園と命名されたと言われています。1772年(明和9年)1月に文如が文人らを集めて滴翠園で詩会を催し、その後詩会が毎月の定例になったと言われています。
池泉回遊式庭園は大きな池を中心に築山や池の中に小島・橋・名石などを配し、池の周囲に設けられた園路を回遊して鑑賞します。池泉回遊式庭園では休憩所・展望所・茶亭・東屋なども設けられます。なお回遊式庭園は室町時代に禅宗寺院、江戸時代に大名によって多く作庭され、日本庭園の集大成とも位置付けられています。
西本願寺第18代・文如は江戸時代中期の1744年(延享元年)5月30日に西本願寺第17代・法如(ほうにょ)の長男として生まれました。1753年(宝暦3年)11歳で太政大臣で、九条家25代当主・九条尚実(くじょう ひさざね)の猶子になって得度しました。1770年(明和7年)に右大臣・二条宗基(にじょうむねもと)の息女・五千と結婚しました。ちなみに29人の弟妹は有力貴族などと結婚し、本願寺の姻戚関係が盤石になったと言われています。父・法如が長命だったことから茶道・詩歌・書・聲明などにも才覚を見せ、茶道では薮内流薮内家・薮内宗堅に直々に入門して茶の湯を学び、薮内流の免許皆伝(めんきょかいでん)を許されました。また滴翠園内に茶室・澆花亭も建てました。1789年(寛政元年)に父・法如が亡くなると46歳で西本願寺第18代になりました。その後悪化していた真宗興正派の本山・興正寺(こうしょうじ)に妹を嫁がせるなどして関係修復を試みたり、教義を巡って発生した大規模な紛争である三業惑乱(さんごうわくらん)の対処に追われたが、三業惑乱が解決しないまま1799年( 寛政11年)7月6日に亡くなりました。
●西本願寺滴翠園は西本願寺の南東隅で、塀で囲まれた一角にあります。西本願寺滴翠園は約4,900平方メートルで、飛雲閣(ひうんかく)を中心に池が配され、桜・梅などの樹木が植えられ、大石を用いた石組もあります。三層の楼閣である飛雲閣は最下層に設けられた御船入りによって池に通じています。西本願寺滴翠園には飛雲閣・滄浪池(そうろうち)・龍脊橋(りゅうはいきょう)・踏花塢(とうかう)・胡蝶亭(こちょうてい)・嘯月坡(そうげつは)・黄鶴台(おうかくだい)・艶雪林(えんせつりん)・醒眠泉(せいみんせん)・青蓮謝(せいれんしゃ)の滴翠園十勝があります。
西本願寺見どころ

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