晴明神社厄除桃・晴明神社見どころ

晴明神社厄除桃

●晴明神社厄除桃は撫でると厄が桃に移り、厄除けのご利益があるとも言われています。「桃」は「木」へんに「兆(きざし)」と書くこともあり、陰陽道(おんみょうどう)では厄除け・魔除けの果物とされています。「桃」は日本最古の歴史書「古事記(こじき)・712年(和銅5年)編纂」や日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)・奈良時代成立」などでも魔物を追い払う様が描かれています。
桃は中国で仙木(せんぼく)・仙果(せんか)とされ、古来から邪気を祓い、不老長寿を与えるとされました。桃は中国西北部を流れる黄河(こうが)上流の高山地帯が原産地とされ、弥生時代後期に中国大陸から栽培種が伝来したとも言われています。ちなみに長崎県西彼杵郡多良見町の伊木力遺跡から縄文時代前期の桃核が出土しています。
陰陽道は5、6世紀頃に中国から仏教・儒教(じゅきょう)などとともに伝わった陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)に基づき、天文(てんもん)・暦数(れきすう)・易(えき)・卜筮(ぼくぜい)などの知識により、吉凶・禍福(かふく)などを占った方術(呪術(じゅじゅつ)・占術(せんじゅつ))です。「日本書紀」には602年(推古天皇10年)に百済 (くだら) の僧・観勒(かんろく)が来日し、暦本・天文地理書・遁甲方術(とんこうほうじゅつ)の書を献上したことから学生3、4人を選んで学ばせたことが記され、これが陰陽道伝来の文献上の初見とも言われています。陰陽道は日本で独自に発展し、平安時代に盛んに行われるようになりました。朝廷では禁中の庶務を執る中務省(なかつかさしょう)に属する陰陽寮(おんようりょう)を設け、占い・天文・暦などの編纂を担当しました。その後陰陽道では賀茂忠行(かものただゆき)・賀茂保憲(かものやすのり)親子や安倍晴明(あべのせいめい)が頭角を現し、賀茂家・安倍家がそれぞれ相伝し、摂関家や鎌倉幕府などと結びつき、室町時代に安倍氏の嫡流は公卿に列する家柄に昇格しました。陰陽道は戦国時代(室町時代後期)に徐々に衰退していくが、歴など生活全般にまで広まりました。
安倍晴明は平安時代前期の921年(延喜21年)2月21日に大膳大夫(だいぜんのだいぶ)・安倍益材(あべのますき)または淡路守(あわじのかみ)・安倍春材(あべのはるき)の子として摂津国阿倍野(大阪市阿倍野区)または大和安倍(国奈良県桜井市安倍)に生まれたとも言われています。賀茂忠行(かものただゆき)・賀茂保憲(かものやすのり)親子に陰陽道(おんみょうどう)を学び、天文道(てんもんどう)を伝授されたと言われています。948年(天暦2年)に大舎人(おおとねり)になり、960年(天徳4年)に成績優秀な天文得業生(てんもんとくごうしょう)になり、第62代・村上天皇に占いを命じられ、970年(安和3年・天禄元年)頃に教官である天文博士(てんもんはかせ)になりました。977年(貞元2年)に賀茂保憲が亡くなると頭角を現し、979年(天元2年)に皇太子・師貞親王(第65代・花山天皇)の命で和歌山・那智山(なちさん)の天狗を封ずる儀式を行いました。993年(正暦4年)に急に病気になった第66代・一条天皇の禊(みそぎ)を奉仕し、回復したことから正五位上に叙され、1004年(寛弘元年)に干ばつが続いたことから第66代・一条天皇の命によって雨乞いの五龍祭(ごりゅうさい)を行うと雨が降り、贈り物である被物(かずけもの)を賜りました。なお安倍晴明は1005年(寛弘2年)10月31日に85歳で亡くなりました。
晴明神社見どころ

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